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(加筆修正)  エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期クラシック演奏会」   第2回ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演 1984年


エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第2回

《ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演 ズービン・メータ指揮 1984年》

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⒈    ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演 ズービン・メータ指揮 1984年


プログラム


8月18日 大阪城ホール

バーンスタイン「キャンディード序曲」

コープランド「静かな都市」

ガーシュイン「パリのアメリカ人」

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」


8月19日 名古屋市民会館

ブラームス 交響曲第4番

バッハ 二つのヴァイオリンのための協奏曲

ワーグナー「ニーベリングの指輪」抜粋


8月20日 簡易保険ホール(東京)
名古屋と同じ



8月21日 神奈川県民ホール

ブラームス 交響曲第4番

ブロッホ ヘブライ狂詩曲「シェロモ」

ワーグナー「ニーベリングの指輪」抜粋



8月22日 日本武道館(東京)

大阪と同じ



8月18日、大阪城ホールでの演奏会、演目は以下のような、いかにもアメリカを代表するオケらしいものだった。

※演奏曲目

バーンスタイン「キャンディード序曲」
コープランド「静かな都市」
ガーシュイン「パリのアメリカ人」
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」


この演奏会は、当時大人気だったメータが来日する、ということと、米国オケの代表格(と日本で思われていた)ニューヨーク・フィルの来日、ということでもちろん注目されていた。だが、そのほかに、なんとあのばかでかい大阪城ホールでクラシックの生演奏をやるのか?という驚きの反応が、一番大きかった。
ちなみに、大阪城ホールで有名な「1万人の第9」公演が始まったのは、この前年、1983年の同ホール開場記念イベントの一環だった。その勢いにのって、有名なニューヨーク・フィルを大阪城ホールで聴こう、というような、妙な高揚感があったことを覚えている。
一方で、この演奏会には最初から不安もあった。なんといっても大阪城ホールはイベント会場であり、音楽ホールとしての音響効果はまだまだ未知数だった。ポップス系ならともかく、オーケストラの生演奏があの広い会場でどの程度、まともに聞けるものだろうか?という当然の疑問があった。
前年の「1万人の第9」は、オーケストラの人数も多く、合唱がなにしろ大人数のため、音響的にはほとんどまともに聴けるようなものではなかった。完全にイベントとしかいいようがない催しだった。
それはそれでよい。だが、ニューヨーク・フィルの方は、本来なら音響のいいフェスティバルホールか、新しく完成した日本初のクラシック専用ホール、ザ・シンフォニーホールで聴きたいというのが、大方の音楽ファンの本音だったのではなかろうか。
その不安は、残念ながら的中してしまった。


⒉  イベントホールでの生オーケストラ演奏への違和感


当時の筆者の記憶に頼るしかないのだが、当夜の大阪城ホールでのニューヨーク・フィルの演奏会は、演奏の出来不出来以前に、音響面での問題点があまりに大きかった。
欧米での音楽祭では、オケも野外の広い会場で、PA装置を用いて演奏されるというのは、知識として知っていた。当夜の演奏会プログラムにも、その野外演奏会についての木之下晃氏によるレポートが載っていた。その文章を、以下、引用する。


※引用《武道館でのクラシック・コンサートというと、どうも日本のクラシック・ファンは眉に皺を寄せて、難しい顔になるが、アメリカの夏のオーケストラ・コンサートは武道館の比ではない広大な野外の芝生付きのコンサート会場で催される。》


まあ、それはそうなのだが、大阪城ホールでのニューヨーク・フィル演奏会は、アメリカ本国での音響技師のようには、うまくやれなかったのだろう。あるいは、本国での野外コンサートのPAも、大差なかったのだろうか。当夜の演奏会で何が一番気になったかというと、大阪城ホールの平土間に設えられた巨大なPAから聞こえる音と、広いホール内に響く生音とのズレだった。おそらく、筆者が聴いていた場所が、オケに近い平土間の、それも端の方だったせいなのかもしれない。これが野外なら、むしろPAの音だけしか聞こえないので、違和感なく楽しめるのかもしれない。
いまではPAが進化し、広い会場での生オケ演奏も不自然ではないだろう。しかし、1984年の段階では、まだまだ音響技術は進化途上だったということだろう。


⒊  メータの演奏について


メータ指揮のニューヨーク・フィルのコンサート、音響はともかく、演奏は実に颯爽としたものだった。特に、冒頭のキャンディード序曲が、最も印象に残っている。それはおそらく、コープランドやドヴォルザークよりも、音響効果の影響を受けにくい楽曲だったからだろう。それを抜きにしても、メータの指揮振りは、本当に格好良かった。ニューヨーク・フィルの音は鳴りが良く、リズムが溌剌として、生きのいい演奏だった。

レコード録音におけるメータ指揮のニューヨーク・フィルの演奏について、日本のクラシックファンの間では、当時賛否両論だった覚えがある。なにしろメータといえば、ロサンゼルス・フィルとの名盤の数々が大人気で、ホルスト『惑星』と映画『スター・ウォーズ』組曲、それにR.シュトラウス『ツァラトゥストラはこう語った』などを、いかにも劇的に演奏していた。ところが、ニューヨーク・フィルとのレコード録音では、ロス・フィルとのレコードの再録音もいくつかあり、それらについてはロス・フィル時代の方が良かった、というもっぱらの評判だった。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/