心に深みなんてない。思考も感情も発言も、全て即興演奏。

『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』を読んだ。

この記事の表題の通りのことが書かれているのだけど
結論から言うと、自分はめちゃくちゃしっくりきた。

心の深みを探るのが難しいのは、あまりにも深くあまりにも不透明だからではない。探るべき深みが、そこにはない。

本書 p.9

本書では、フルカラーで鮮やかに見えている視界全体のうち実際に色彩豊かに細かく見えているのは視線の先にある僅かな部分だけである(つまり脳が連続的に見えているように錯覚させている)ことや

実験で写真2枚のうち美女・美男と思う写真はどちらか選択させた後、本人が選択していない方を「選択したもの」として理由を聞くと、実際には選んではいないのにそれっぽい理由を作って説明した(=後から自分の行動の理由をこじつけで即興した)ことなどをあげて、わかりやすく説明してくれている。

もちろん、これらも納得に至る理由の一部ではあるけれど
しっくりきたのは「自分が以前から時折感じていた違和感に説明がついた」のが大きな理由だと感じる。

その違和感とはー

以前から、時々人に何か聞かれて答える時(とりわけ、自分のある行動の理由を聞かれた時)に口からすらすらと出てくる内容が、まるで作り話のように嘘くさく聞こえることがあった。

そんな時、いつも話し終わった後に「あれ?こんな理由だったっけ?なんか違う気がするなぁ・・・」と思ったり
後からその理由を自分にとってしっくりくるものになるまで考え直してみたり、みたいな事をしている。
(そうすると、話した内容とだいぶ違ってくる事もある)

もし、人の行動や思考が常に一貫性を保っていて、揺るぎない信念に基づいているならば、その時出てくる言葉は常に一貫性があり、自分にとって納得感があるもの、なはず。

逆に「揺るぎない自我や信念」なんてものは存在せず、その場で解釈した事を口にしたり思考しているという事なら
この矛盾はあって然るべきものとなる。

なるほど〜〜!!!と、すごく腑に落ちた。

まわりの人たちの振る舞い、あるいはフィクション作品のキャラクターの振る舞いについて意味をとったり理由づけしたりしながら解釈を施しているのとまったく同様に、自分自身の振る舞いも解釈しているのだ。

本書 p.13

心の即興は、できるだけ思考や行動に一貫性をもたせること、「役柄(キャラクター)に徹し」続けることをこそ任務としている。つまり、以前の思考や言動とできるだけ食い違わないように、いまの瞬間に考えたり行動したりしているのだ。

本書 p.14

とはいえ、毎回即興しているとは言っても発言の度にすんごい矛盾した内容を口にしているのではない(つもり)だし、
一定の「こうありたい・なりたい姿」や「判断軸・価値基準」は存在している気はする。

何が私を私にしているのか?
あなたをあなたにしているのは何なのか?

本書 p.281

もし心とは前例のエンジン(現在への対処のために過去の思考や言動を絶えず再編し続けるしくみ)であるなら、人間はたんに性格特性の束なのではなく、その人独自の過去の経験の宝庫である。

誰もが過去を手引きとし過去に形作られた一つの伝統なのである。
私たちは改善、調整、再解釈、そして大規模な改革をする能力がある。心の現在は心の過去から創られる。

人は自分自身を作り、また作り直している。
心の経路変更は緩慢かつ困難なのが常だ。
だが、現在を意図的に変えることができる限り、そこには未来を変える希望がある。

本書 p.282

(うーん。。。最後の一文カッコよすぎんか😍💓)

人は皆、生きてきた中で色んな出来事についての解釈や言動を積み重ねてきている。
過去が今の自分を作っている。

心の即興演奏は、ミュージシャンがソロパートで手クセですっと出てきたフレーズを弾くように、「解釈のクセ」「言動のクセ」を明らかにする。
(それが自分や周囲に取って良い影響を及ぼすものか・そうでないかには関わらず)

その「解釈した結果」を、「ありのままの事実ではなくあくまでこれは自分の解釈」とメタ認知する事で
「解釈のクセ」や「言動のクセ」を自分や周囲が心地良い方向に軌道修正していける気がしている。

(ごりらさん、ただいまメタ認知習得のしゅぎょうちゅう!📖 🦍🔥)

よろめき、蹴つまずきながらであれ、だんだんとましな「物語(ストーリー)」に出会いたいものだと私たちは願う。
されど、いま手にしている話から出発することでしか、新しい物語は創れない。

いかなる「思考の牢獄」も私たち自身がでっち上げたものなのだから、創ることができたのと同様、取り壊すことができる。

もし、心には表面しかない(マインド・イズ・フラット)なら、つまり私たちは自分の心、自分の生き方、自分の文化を想像力によって創り出しているのなら、私たちはもっとわくわくする未来を思い描き、現実にする力を持っているのだ。

本書 p.312

(えっと。。。これも、最後の一文素敵すぎんか😍💓)

「思考の牢獄」は人が陥りがちな罠だと思う。

人の発言や出来事を解釈する時、とりわけそれが自分にとってポジティブではない内容だった場合に
解釈の仕方やその後の発言・行動によっては何かを壊してしまうリスクすらある。
(誰かの信頼や人間関係そのものだったり、家族、社会的な立場、あるいは誰かを傷つけてしまうこと等)

そんな時には、自分の解釈のクセやバイアスを俯瞰してブレーキをかけたい所だが、(これまた即興された)感情に支配されていると難しい側面もあると思う。

だけど、心には深みとか無意識の力とかないんだから。

すぐには難しくても、過去の苦い思い出が邪魔してきても、
自分の解釈によって受け止め方を変えることぐらいはできるはず。

・・・むしろこの本にある通り脳はシングルタスクなんだから、「嫌だな」と感じる出来事があったら、いったん美味しいもの食べてお風呂入って早く寝よ!でいいのかもw

「ほんま何なん?」ってモヤモヤして解釈を変えるのがしんどい時は、「解釈を保留する」(=判断を先送りする)が、自分にも周囲にも優しい選択肢なのかもしれない。

何せ、毎日ワクワクしてたいから
なるべく良い解釈・良い思考をして、ええ方向に持ってこ〜〜😊🦍🎶


そんなこんなで、めちゃくちゃ興味深くて納得感もあり、ドッグイヤーを付けまくった一冊だった。

紹介したくだり以外にも印象的なパートはいくつかあったけど、特に好きだなーと感じた「愛とは何か?」についての一説を貼っておく。

愛の真実は、最奥に潜む自己を探すための不可能な旅を試みることによってではなく、いまここでの思考と相互作用のパターンに焦点を合わせることによって探し求めるべきである、と。

相手のことを愛おしく感じること、助けたり助け返されたりすること、打ち明け話やアドレナリンの高まりやポジティブな気持ちを思慮深く適切なときに分かち合うこと、良い時も悪い時もいっしょにいること。

それは「真実の愛」と呼ばれる深くて確かな内的状態の証拠なのではない。
それが愛の本質なのだ。

本書 p.148

どんな関係性であっても、丁寧に向き合って、感情を共有して、お互いがお互いを大事に思って育てていくことが人間関係の本質であるように思えたし
すごく素敵な言葉だな、と感じたごりらさんであった。🌷🦍✨


いつも読んでくれてありがとうございます、励みになります(*^ω^*)