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【OBインタビュー】高校卒業後から6年以上、欧州でプレーする高橋実津歩。「ストイックに頑張れている今の自分があるのは、同朋で学んだものがベースになっているから」

同朋高校サッカー部からは、何人ものOBが海外へ渡りプレーしている。

2014年に同朋を卒業した高橋実津歩も、その内の一人だ。卒業後は単身ドイツに渡り、以来オーストリアをはじめとしたヨーロッパの強豪国で日本人選手として戦い続けている。

だが、言語も文化も全く違う中でサッカー選手として生活することは容易ではないはず。それでも6年もの間、異国の地でプレーしてきたことで人としても大きく成長できたと高橋は言う。

「楽しいことよりも苦しいことやつらいことの方が何倍も多かった」と振り返るが、そこで心が折れなかったのは同朋高校での3年間があったからだという。

また、高校を卒業してすぐに海外へ渡ったのは、同朋での指導がきっかけとなっているそうだ。高橋は同朋高校で何を感じ、何を得たのか。海外での生活から高校での3年間を振り返ってもらった。

外国人コーチの指導で海外を身近に感じた

──高橋さんは2014年に高校卒業と同時に海外へ飛び出しましたが、その後の進路を教えてください。

高橋 高校卒業後はドイツに行って2シーズンプレーしていました。3シーズン目の夏にモンテネグロへトライアウトを受けに行って、結果的に契約はできたけれど金銭面の問題で契約破棄になってしまいました。そこから半年間、チームロストをしてしまいました。それで4シーズン目にまたドイツで1年間プレーして、5シーズン目の夏にオーストリアへ移籍が決まりました。ですが事情によって移籍が無くなってしまって、5シーズン目の夏から冬にかけてまたチームロストをしてしまった。それでも5シーズン目の冬からは今のオーストリアのチームに所属しています。

──海外でプレーしたことで何か変化はありましたか?

高橋 一番は自己主張が強くなったことですね。海外では思ったことを伝えないといけないような文化です。例えば練習中も「今のお前のミスだろ」、「いやいや、俺のミスじゃない」という言い合いが多くて、そこで絶対に負けちゃいけないというメンタルになりました。

──日本はどちらかと言う協調生を大事にしていると思います。

高橋 そうですね。ですがそれはいい意味でどうでもよくなりました。そこが自分の中での一番の変化。アジア人なのでただでさえマイナスからのスタートです。海外では遠慮しないで思ったことを言わないと舐められてしまいます。

──そもそも、いつから海外でプレーしたいと思っていましたか?

高橋 高校1、2年の夏休みは森岡(優介)監督にお願いして、関東1部の大学サッカー部へ練習参加に行っていたんです。ですが高校3年生の夏休みに1カ月ドイツへサッカー留学をしたときに「やれるな」と思ったからです。ドイツ人たちの生活を見ても「負けないな」と思いましたし、気持ちが持っていかれました。留学中にオファーをもらったことも自信に繋がりました。

──その想いのまま卒業後はドイツへ渡った。

高橋 とにかく、「サッカー選手として飯を食いたい」と小さい頃からずっと思っていました。それが高校3年生のときに具体的になりました。本当は大学で4年間頑張ってどうなるかと思っていました。ですが高校3年生のときにドイツへ留学したことで、そっちの世界へ早く飛び込めるなら大学へ行かず早く行こうと思ったので。

──高校3年生のときに大学の練習参加ではなくドイツへ行こうと思った理由は何だったのでしょう?

高橋 みんな同じ理由の人が多いと思いますけど、当時は香川真司選手や岡崎慎司選手がドイツで活躍している姿を見て、日本人とドイツは相性がいいなということを感じたからです。

──高校を卒業していざドイツへ向かうときはやはり不安があったのでは?

高橋 3月1日にドイツへ行きましたけど、不安は全然ありませんでした。自信に満ち溢れていましたね(笑)。

──「やってやろう」と。

高橋 やれる気しかしませんでしたね。

──その自信の根拠は?

高橋 留学したときにある程度自分を評価してもらっていたことが大きかったのかなと思いますけど、なんでですかね……。あのときはとにかく自信がありました。

──それは高校で得たものが大きかったから。

高橋 確かに高校時代、3年間しっかり試合に出ていたことが自信に繋がったのかもしれないです。

──改めて、同朋高校サッカー部の良さは?

高橋 同朋でプレーしていていいなと思ったのが、外部の米澤(尚)さんや夏休みや冬休みの合宿で外国人コーチに指導してもらえたことで、海外に対して身近に感じられるようになったことです。先輩の中には実際に海外でプレーしている人もいましたし、そういったことで海外でプレーすることを選択肢に入れられた。普通の高校では大学に行くことがメジャーだと思いますけど、同朋では海外と関わることも多くて意識しやすかったことですね。

──ただ、3年間で目標にしていた全国大会出場は叶いませんでした。高校3年間では何を得たと感じていますか?

高橋 中学のときにプレーしていたNagoya S.S.は愛知県の中でも強いクラブで、東海大会にも出場していました。自分は、小学生のときにトレセンにも選ばれていましたけど、中学に進学したときには身長も低くて身体能力で差がついてしまっていました。思うように試合も出してもらえず、壁を感じて挫折してしまったこともありました。そのときは「サッカーが楽しくないな」と感じていました。ですが高校に入学した頃には身体能力も向上してきたこともあって、1年生から2年生で(トップチームの)試合にも絡めるようになって自信を取り戻していきました。

サッカー部での3年間でメンタルが強くなった

──高校の3年間で印象深かった出来事は何がありますか?

高橋 2つあって、1つは2年生の頃の(全国高校サッカー)選手権。もう1つが、これも2年生のときですが決勝戦まで進んだ新人戦ですね。

──なぜその2つなんでしょう?

高橋 2年生のときの選手権は、2年生の自分が試合に出ることで3年生の先輩は試合に出られなくなってしまうじゃないですか。ですがその先輩が自分のことを応援してくれる姿を見て驚きました。もし逆の立場だったとして、自分にそんなことはできなかったかもしれないです。

──普通なら悔しいはずですからね。

高橋 そうですね。ましてや後輩の応援歌を自分なら歌えないと思うので純粋に「すごいな」と思いましたね。

──そうできたのは、同朋のサッカー部で人として成長できたことが要因していたのかもしれないですね。

高橋 他の高校がどうなのかわからないですけど、そうかもしれないですね。去年流行った言葉で言うと『ONE TEAM』になっていたのかなと思います。

──もう一つ挙げた新人戦はどうでした?

高橋 愛知県の決勝戦まで勝ち進めたことですごく自信になりましたね。口では「全国出場」を掲げていましたけど、言い換えれば自分たちの立ち位置を客観的に見ることができていなかった。県外の遠征とかで強豪校に勝って「俺たち強いんじゃね?」となっていましたけど、所属は愛知県2部リーグでしたし、立ち位置が明確ではなかった。でも東邦高校といった県内の強豪校にも勝って注目もされましたし、あれで本当に「全国出場」が現実味を帯びた。なので思い入れが深いですね。

──そのときのチームの雰囲気はどうだったか覚えていますか?

高橋 今振り返ると、勢いだけで勝っていたなと。でも、強いチームはそうだと思いますしトーナメントは一発勝負。当時の同朋は足元の上手い選手が多かったのですが、そういう選手は試合中、サボりがちな部分もある。ですがあのときはみんなハードワークできていたのも大きかった。それが勢いに乗れていた要因なんじゃないかと思います。

──勝利を重ねて一歩一歩優勝に近づいたことで、チームとしてさらに強くなっていった。

高橋 そうですね。勢いに乗れるチームは変にプレッシャーを感じないで本番強いと思いますし、一つにまとまっていた。あの勢いがなかったらゾノ(2014年卒・大薗諒)の決めた(40mの)直接フリーキックなんて入っていなかったはずです。あの距離から普通はゴールを狙わないですから(笑)。

──チームとしてまとまれた要因は?

高橋 新人戦の前に、選手たちが問題を起こしてしまったのですが、森岡さんたちコーチ陣が活動を自粛することで代わりに選手たちだけで練習できたことがありました。そのときにみんなで集まって「このままではマズいよね」と話し合えたことが一つの要因だったと感じます。

──なぜこれほど長い間も単身、海外でプレーできているのでしょうか?

高橋 今もこうしてサッカーを続けられているのは、もちろん家族も含めてですけどみんなが応援してくれるし期待してくれているから頑張れている。分かりづらいですけど、ちゃんとステップアップもできています。

─ステップアップできている。

高橋 最初の1、2年目はアルバイトしないと生活できませんでしたけど、それ以降はサッカーで貰えたお金で生活できています。今に至っては貯金もできるほど貰えているし、仕事としてサッカー選手で生活できていることは自信にもなりますね。まだまだですけど、最低限の目標は達成できました。チームロストしてしまったとき、いわゆるフリーターになってしまいましたが「もう一度海外に戻る」というメンタルだったから新しいチームに所属することができましたし、目標に対してブレずに取り組めたからですね。それは同朋サッカー部での3年間でメンタルが強くなったからだと思います。

─ちなみに、同朋のサッカー部へ入部するまではどんな性格でしたか?

高橋 めちゃくちゃ負けず嫌いでした。サッカーでちょっとでも失敗してしまえばすぐに泣いてしまうこともありましたし、中学で挫折したときはサッカーが全然楽しくないと感じることもありました。ですが同朋のサッカー部に入ってそう思うことはなくなりましたね。

─改めて、同朋サッカー部や海外で過ごした時間を振り返っていかがですか?

高橋 海外に出て思いもしないアクシデントもたくさん経験してきました。日本で起こり得ないことが向こうでは普通だったりもして、そいういうところで揉まれながら人としてすごく強くなれましたし自分に自信が付きましたね。今なら失敗を絶対に恐れないですし、「これ無理だな」と思うことがない。まず挑戦しようと思うマインドになったことが大きく成長したなと自分で感じます。

楽しいことよりも苦しいことやつらいことの方が何倍も多かった気がしますけど、自分は「サッカーで上を目指す」というブレない目標があったからこそストイックに頑張れていますし、今の自分がある。

そのベースは同朋で学んだものがあるからだと思っています。今はサッカー選手ですけど、選手生命は短い。引退後のサッカー選手じゃない期間の方がはるかに長いので、選手として成長するのと同時に人としても成長しなければいけない。そこにすごく意味があると思いますし、選手として人として成長ができる同朋高校サッカー部に入部することはすごくいいと思います。

高橋実津歩Instagramアカウント:@hocchi7

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