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漫才好き、ラップ好きなら「備中神楽」

企画メシ第2回は講師に編集者・ライターである九龍(クーロン)ジョーさんを招いた「伝統芸能の企画」。九龍さんは『伝統芸能の革命児たち』という本を書かれていたり、講談師、神田伯山のYouTubeチャンネル「伯山ティービー」を監修されていたりと、日本の伝統芸能に精通した方である。さらにプロレス、音楽、本と、とにかく守備範囲が広すぎる。個人的には坂口恭平さんの大ファンなので、坂口さんと旧友であるというのも胸熱だった。(坂口さんのパステル画を見て、絵を始めたくらい好き)

今回の課題はこちら。

「伝統芸能を調べて、あなたが見つけた魅力を説明してください」


正直、生まれてこのかた伝統芸能を見たことがない。危機を感じつつ、まずは九龍さんの本を読み、伯山ティービーを見た。講談の面白さや歌舞伎の柔軟さ、色々と気になるものはあったけれど、きっと寄席に行ける関東の企画生がこの魅力は届けてくれるはず。私にしかできないテーマにしたいという思い。そして自分の足元を固める意味も込めて、生まれ育った岡山の伝統芸能「備中(びっちゅう)神楽」を選んだ。


▼「備中神楽」って一体なに?と思った方は、東京ホテイソンのyoutubeチャンネルへ
https://www.youtube.com/watch?v=Z1k9QWwvdHg&t=146s



漫才好き、ラップ好きなら「茶利」にハマる


ある程度調べて備中神楽の基本は知れたけれど、正直まだまだ魅力を感じられなかった。そもそも備中神楽って“ストーリー知っているでしょ?”のていで進んでいくし、何を歌っているのか初見では絶対に聞き取れない。魅力を探したいんだけど楽しみ方がわからない!というのが率直な感想だった。そこで分からないなりに物語をなぞりながらYouTubeを見ていて「これ面白い!」と思ったのが茶利(ちゃり)である。


相変わらずストーリーは分からないのだけど、リズムに合わせてテンポよく歌われるさまは、まるで日本語ラップのようだった。何を言っているのか分からなくても、テンポが心地よくてつい聞いてしまう。太鼓と歌い手だけなのに、ちゃんと音楽になっている。クセになるとはこのことだなと、何度も観てしまった。

さらに歌がひと段落すると「次どぉしょうかな〜あれがええかなぁ」と岡山弁丸出しで言う姿は「もしかしてアドリブ?」という笑いを誘う。予定にないボケを挟む銀シャリや中川家の漫才のようで、日本語ラップも彼らの漫才も大好きな私にとってはかなりツボだったのだ。(銀シャリの橋本さんは自分の漫才をジャズと表現しているけど、会場の空気を読んで、間を掴むという意味では、茶利もジャズなのかもしれない)

▼私がハマった茶利。『大蛇退治』より
https://www.youtube.com/watch?v=xHtZ22PErs8&t=599s


茶利とは巧みな言葉遊びと、しゃべくり漫才のような話術で会場を沸かせる3枚目の役どころ。どの演目にも登場し、これを目当てにしているファンも多いのだとか。例えば『大蛇退治』に出てくる“茶利”は酒の神様、松尾明神。 大蛇に酒を飲ませて眠っているところを退治しようという素戔嗚の命 (すさのおのみこと)の策のもと、 酒造りの命を受けて登場する。
そして、太鼓と手拍子のリズムに合わせて酒を作りながら、滑稽な動きと話の面白さで会場のお客さんを笑わせる。茶利の歌のなかには時事ネタも盛り込まれており、昔は娯楽の役割を果たしていたとか。さらにお客さんも巻き込みながら即興的にボケて、ツッコミもこなす茶利を演じられるのは、話も歌も舞いも全てできるベテランだけ。茶利を見れば、 その社中の良し悪しがわかるというから、非常に重要な役どころなのだだ。                (※課題より抜粋)


今の時代に必要な神楽の存在

九龍さんの推しには選ばれなかったものの、目に止まった課題の一つに選んでいただき話をすることができた。九龍さんには「神楽のおおらかさは今の時代に必要。次きっとくるよ」と言っていただけた。『君の名は。』で巫女が登場したように、神楽には現代のエンタメには醸し出せないおおらかさがあるのだと。

また茶利を打ち出すことが本当に備中神楽の魅力といえるのか自信がなかったから「楽しい面を出していけばいい」とう九龍さんの言葉に安堵した。自分の演算機をもっと信頼してあげよう、と思えたのだった。


第2回の講義を終えて

まずこのnoteを書いた理由から。今回の課題で一番悩んだのが「自分の出し具合」だった。確かに私は茶利を魅力的だと感じたけれど、これを日本語ラップだ、しゃべくり漫才だ、と言って共感してくれる人なんていないのでは?と思った。それに備中神楽をやっている方に失礼かもしれないし、日本語ラップや漫才を好きな人にも「何言ってんの?」と言われるかも…という恐怖心が勝ってしまったのだ。

だから、いつも仕事でやっているようにできるだけ自分を消して書いた。私の感想文にならないように、誰にも批判されないように。

でも九龍さんの講義を聞いて、それは間違いだったと気づいた。

「自分のフィルターを通さないと、人には響かない」

実際、皆の課題をみて「いいな」と思ったのは、その人らしさが出ている課題だった。思わずメッセージを送ったのは、その人にしか書けない一文を見つけたからだった。自分の演算機を信じて、形にしていたものにグッときたのだ。私が今ここでやっているのは、いつもの情報誌を作る仕事ではない。もっとその先にある、人の心を動かすための試みだ。

一度裏切ってしまった自分の演算機を信じてみよう、伝えてみようと思ったから、もう一度課題を作り直すつもりで、自分のためにnoteを書いた。


最後に

ずっと前に読んで心に残っている言葉をいつでも見直せるようにここで紹介しておく。九龍さんのように、都築さんのように、自分の「おもしろい!」を信じて形にしていきたい。

「こういうひとたちが関心あるのはこういうこと」とか、関係ない人が勝手に決めるのって、すごくおかしいし、失礼だと思う。そうではなくて、自分がものすごくおもしろいと思ったことは、おもしろいと思ってくれる人が他にもいるはず。それは25歳の独身女性かもしれないし、65歳のおじいさんかもしれないし、15歳の男子かもしれない。だからそこにいるのは「ひとりひとりの読者」であって、「読者層」じゃない。                都築響一『圏外編集者』より


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