悲劇

悲劇。そもそもはバッドエンドの物語のことだが、転じて人生で起きた悪い思い出を指すこともある。

考えてみれば、誰しも悲劇の一つくらい思い浮かぶのではないだろうか。例えば学生時代、好きな女の子に告白するも無残に散ってしまった。飲み会で笑いを取ろうと変なことをするが、誘ってくれた先輩の地雷を踏んでしまった。当事者としては今すぐこの場から消えたい、もう二度とこの人と会いたくないと思ってしまう。だがこんなことは誰にでも起こるし、往々にしてしばらくすれば笑い話にでもなる。気にしなくても良いことだ。

僕はこんな考えを持っているため、失敗からの立ち直りが早い。少なくとも自分ではそう感じている。だからSNSなんかで「悩みありますアピール」する人種とはどうも分かり合えない気がしている。悩みなんて自分で噛み砕くものだと信じているし、それでも消化できないのなら本当に親密な相手にこそっと打ち明けるものだ。

だが最近気づいたことだが、僕なんかより「悩みありますアピール」する人種の方が一億倍人生を楽しんでいる。なぜだろう。テンションの浮き沈みというか、振れ幅というか、そんなものが大きいからだろう。
人はギャップのある異性に惹かれるし、キラキラした芸能界とは離れた地味な私生活を送る芸能人に好感を抱く。そして落差のある人生が魅力なのだ。

悩みなんて結局は笑い話になるもんだ。そう言って大して気にもしない僕はテンションの浮き沈みが楽しめないのだ。人生の普通の状態を0として、そこからプラスにもマイナスにも100ずつ振れるとしよう。「悩みありますアピール」する人種は合計200の幅で人生を楽しめる。対して僕はせいぜい40くらいだろう。ここからは述べる程でもない。

だからと言って、今から「悩みありますアピール」する人種になれるわけでもない。さぁどうしようか。こうして僕は悩み続けるのだろう。こうして悩むのも嫌いではない。

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