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漫画評:『プラネテス』のロックスミスを考える

ロックスミスを”理想の上司”とするようなツイートを見てしまい脳みそが沸騰してしまった。んなわけねーだろ。もともとプラネテスについてウダウダ語ってみたいという気持ちもあったことだし、書いてみよう。

バズっていたツイートは、ロックスミスの記者会見のページの写真とともに、「日本に必要なの、多分これ」というテキストを添えたものだ。

ロックスミスは木星との往還を可能にする最新鋭の宇宙船の開発を任されていた。しかし、指揮していたエンジンの実験が大事故を起こしてしまい、324名が死亡、金銭的にも多大な被害を生じさせた。その直後にロックスミスが記者会見をする一幕だ。テキストを引用しよう。

ロックスミス「はい。亡くなられた324人の研究員の遺族には今後十分な補償を約束しております。つつしんで御冥福をお祈りします」
  <記者たちの怒号>
記者「被害総額は2兆ドルとも言われていますが、ロックスミス氏にうかがいます。今回の責任どのように取られるおつもりで?」
ロックスミス「爆発した二号エンジンの残したデータの内容には満足してます。次は失敗しません。ご期待ください。」

なぜこの場面が「日本に必要」とされ、一定の賛同を集めたのか

ツイート主が言いたいことは、「自分の非を明瞭に認め、そのうえで結果を出すことを約束する、責任から逃げないリーダーシップが必要」というところではないだろうか。

「とにかく誰も責任をとりたがらない」という構造は以前からこの国では目立っていたように思うし、コロナ禍への対応でそれがなおさら目につくようになっている。だからこそ、きっぱりと「責任は自分にある」と認めつつ、そのうえで成功を約束する姿のなかには、理想の上司像のようなものが一部垣間見えたかもしれない。

だが、結論から言えば、自分はこのロックスミスの態度は一切支持できない。その理由を、「事故の背景」と「作中のロックスミスの役割」という2つの観点から指摘してみたい。(その過程でプラネテスについてウダウダ語りたいという欲望もあわよくば消化したい。)

事故の背景:そもそもロックスミスは事故を予見しつつもアクセルを踏んでいた

該当ツイートで張り付けられていた3ページは、プラネテスの第6話「走る男」からの抜粋だ。この話の冒頭から読めば、事故から会見に至るまでの経緯は普通にわかる。それで記者会見でのロックスミスの言動については印象が全く変わるはずだ。

冒頭 電話のシーン
ロックスミス「そんなのは理論値の証明に過ぎないだろ?そのエンジンテストで私が知りたいのは運転限界なんだよ。うんかまわない。その二号エンジンは実測値採りのために用意したんだ。いっそ壊すつもりでギリギリまで出力をあげてみてくれ。え?責任?私がとるにきまってるじゃないか。」
事故の報告を受け、本部に向かうシーン
ロックスミス「人的にも金銭的にもかなりの損害が出るだろう。全て責任者の私の指示のもとに起こったことだ。そんなわけだから偉い人達のところへお叱りをうけにいきます。」
部下「残念です……あなたは木星計画にとって必要な人だ……」
ロックスミス「?あ なに?そういう心配してるわけ?だーいじょうぶだって。研究施設の二つ三つふっとばしたって結局私が更迭されることはないよ。なぜだと思う?私が宇宙船以外なにひとつ愛せないという逸材だからさ」

これらのやりとりからわかるように、ロックスミスは莫大な人的・金銭的被害が出るリスクを承知の上で、エンジンの限界を測定しようとしている。そして、324名の人命が実際に失われても、彼は「木星計画に向けて前進するデータが得られたし、自分はどうせ更迭されない」ので落ち着きはらっているというわけだ。

会見シーンだけを見ると、責任から逃げず目標を見失わない有能な人間に映るかもしれない。だが、彼の実態は個人的な夢のためなら、大量の人命を失うようなリスクも意に介さないという人間であり、また責任から逃げないのではなくて、責任はこの程度とあざ笑っているのだ。自分には、ロックスミスのような人材が必要だとはとても思えない。

ハチマキの物語を整理する

ロックスミスの人物像を理解するには、彼の作品内での役割を知る必要がある。遠回りになるようだが、プラネテスという物語の根幹について、まずは整理しよう。

プラネテスは、大きな夢を持ってしまった宇宙飛行士「ハチマキ」の成長を中心に据えた物語である。テーマはいくつか存在し、一つはデブリ問題だろうし、一つは「愛」だろう(※1)。だがそれ以上に、本作では「夢を追いかけるということ」が中心的なテーマになっているように思える。

ハチマキの夢、それは自分自身の宇宙船を持って宇宙を自由に飛び回ることだ。もちろんそれは、一介のデブリ屋である彼にとって大きすぎる夢だ。しかし、自分の現状に比して大きすぎる夢を抱いてしまった人間はどのように生きていけばいいのだろう?

ハチマキの、自分自身の夢への向き合い方は、物語を通じて激しく動いていく。以下に自分なりのステージ分けをしてみよう。

ステージ1. 夢を語るが、その実現に向けた行動をしていない
ステージ2. エゴイストを自覚の上で、周囲を一切顧みずガムシャラに夢を追う
ステージ3. エゴイストとして孤独に夢を追うことの限界を知り、原動力を失う
ステージ4. 夢への最短距離を邁進するために切り捨ててきたもの(愛や人間関係)の重要性を理解し、次の原動力を得るとともに、夢も形を変える

これは、宇宙飛行士や研究者など、難易度の高い夢を抱いた人間がたどる、わりと典型的なプロセスなのではないだろうか。実のところ、自分も研究者を目指してしまったがゆえに、大学受験あたりからD2ごろまで、ステージ2に長く滞在していた。

サークルとかバイトにかまけてる連中の気が知れない。何しに大学来てるんだ。ガリガリに勉強するべきだろ。俺は勉強時間を確保するためにバイトは極力しないぞ。奨学金を借りまくって勉強する。これは未来への投資だ。

こんな思考が脳内にうずまいており、目先の時間を面白おかしく過ごしているように見える同期たちを露骨に軽蔑していた。黒歴史である。

だから、プラネテスを初めて読んだ時には、ステージ2にいる頃のハチマキにすごく共感していたし、それが乗り越えるべき途中の姿として描かれていたことが不本意にも思えた。(もちろん、とんでもない名作だという思いのほうが強かったのだが。)だが、さんざん挫折をして、家庭をもって、いま共感できるのは圧倒的にステージ4のハチマキなのだ。

ハチマキとの対比からわかるロックスミスの人物像

さて、話をロックスミスにもどそう。彼は、ステージ2のまま走り続けている人間のモデルという役割が明確に与えられている。自分自身の夢をめがけて最短距離で走り続ける。それ以外は人命も含め、どうでもいい(※2)。

物語終盤、ハチマキがステージ4にたどり着いた後、ロックスミスにかなりスポットライトがあたるようになる。これは、ステージ2にとどまり続けたロックスミスと、ステージ4に達したハチマキの対比を行っているのだ。

18話「グスコーブドリのように」では、エンジン事故で死なせてしまった部下、「ヤマガタ」の墓参りに行き、その妹と出会う。ヤマガタの妹はロックスミスに銃を突きつけ抗議するが、ロックスミスは冷徹に告げる。

「君の愛した人はグスコーブドリだったんだよ。君のその愛が彼の心をとらえたことなどないのだよ」(※3)

これを受けてヤマガタの妹は拳銃自殺を図るが、それを制止して帰らせる。そして彼は「心配ない、ただかなしくなっただけだ」と部下に告げ、夜空を見上げる。

最終話「What a wonderful World」では、ロックスミスが自分の師であるラモン博士を訪ねる。次の土星計画のための技術者を求めてのことだ。しかし、ラモン博士はすでに研究をすてて神父として働いており、ロックスミスの誘いを断る。

ラモン「……断る。私はもう研究は捨てた。そのうち君にもわかるロックスミス。人は年を取る。若いころとは考え方も変わってくる。」

ラモン博士の現役時代はロックスミスでも恐怖を感じるようなものだったらしい。つまりバリバリのステージ2だったのだろう。その彼がステージ2で生きることを捨てたというのは、ロックスミスにとっても重たい話だろう。

さらにラモン博士と言葉を交わすも、「もう疲れた、安らぎたい」と告げられたロックスミスは、タバコを吸いながらボンネットに腰掛ける。セリフはなく、表情も影になっていて読み取れないが、「自分の行きつく先もラモン博士と同様になるのか。いやそんなはずはない」というような自問自答をしているようにも見える。

そこに、ラジオからハチマキのスピーチが流れてくるというわけだ。ステージ2にとどまり孤独に生きるロックスミスと、ステージ2を乗り越え素晴らしい人間に成長したハチマキのコントラストは、あまりに明白で、プラネテスの主題をはっきりと伝えてくれる。

まとめ

ツイッター上でごく一部が切り取られ、「日本に必要」とされているロックスミスの人物像を丁寧に読み解いてみた。

賞賛を浴びていた記者会見のシーンは、責任を引き受けているのではなく、責任を取ると発言しても更迭されないことを確信したうえでそう発言しているだけだった。

また、プラネテスという作品の軸として、夢を追うプロセスというものが描かれていることは明白であり、ロックスミスはハチマキが乗り越えた壁を乗り越えなかった存在として描かれている。

彼は、夢を追うためにはエゴイストになっても良く、その過程で他人の命が失われても構わないと確信している人間だ。それでも、「ロックスミスは日本に必要」だろうか。まあそのような人間が何かを切り拓くということは否定できないが、彼を尊敬しようとは思わないし、身の回りにはいてほしくないなぁと思う。


2022/01/05追記

アニメの再放送があるらしい。もしかしたらこの記事に到達して、ここまで読んでくれる奇特な人もいるかもしれない。この機に、書き残していたことを書いておこう。

ロックスミスについて考えるなら、本当は真っ先に指摘すべきことを書けていなかった。ロックスミスのモデルはフォン・ブラウンであるということだ。まあフォン・ブラウンの名前は何度か出てくるし、宇宙船の名前がフォン・ブラウン号である時点でお察しなのだが。

フォン・ブラウンについてググると、彼の人となりが見えてくる。まさに、エゴイストとして夢を追う、純粋で悪魔的な存在だ。ロックスミスと重なりすぎる。

プラネテスは、当初読み切りだった作品が、出来の良さと人気から連載化したという作品だ。長期的なスジ書きは、模索しながら見つけていったとのだろう。

幸村誠氏は、筆が遅いことに定評があるらしい。
『フォン・ブラウン』のように夢を追い続けることってどうなんだろう?
そんなことを長時間考え続け、徐々にまとめていったような作品なのかもしれない。


※1 本当に論旨からずれる話なのだが、プラネテスを友人に貸したら、翌朝自分の机の上に「愛をありがとう」と書かれた紙とともに返却されていた。幸村誠氏のヴィンランドサガでも愛がテーマになっているし、次回作があるとしてもきっとまた愛がテーマになるだろう。

※2 第6話「走る男」は、ランニングマシーンで自分をストイックに追い込むハチマキだけでなく、ロックスミスのことも指しているのだろう。

※3 グスコーブドリもまた、ステージ2にとどまった人間である。ヤマガタはグスコーブドリにあこがれ、またロックスミスのことをグスコーブドリのような人と称している。