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岡田 利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を読んだ

短編が2話収録。どちらの話にも共通し、タイトルにもある「特別な時間」を表すのは、現代日本における若者のモラトリアム的な、ラブホで目的もなく連泊する(1話目)、バイトを休んで横になるだけの(2話目)、倦怠と逃避の時間。ぼうっとした意識の、無意味な思索みたいなのが延々と描かれていて、読んでいるこちらまで気怠くなるなるような、かなり不快なまどろみを体感できた。

1話目の冒頭は街によくいるような大声をあげる若者の集団が「6人の塊」として登場して、人間の塊と言われるとゲームのINSIDEのラストに出てくる肉団子人間とかブライアン・ユズナの『ソサエティ』を想起するけど、そういう奇形ではないにせよ個々の意思がまるでないような描かれ方で、確かに街で若者の集団を見かけるたびに一人一人の人間性とかは全く気にもせず、ただのうるさい群れとしか認識していない。大きく言うと、渋谷駅のハチ公改札を出てすぐ目に入る景色の、いきなり現れる人混みを塊として見ている。こういう「俺」 : 「塊」的な雑な分類は良くないけど、他の人からは俺も塊の一部、というか塊として見られてるんだと思う。
この本は、東京の若者という大きな塊から一つの意識を抽出して、それが退屈でどうしようもないことでも(それは自分も同じようなことを考えていた、ということで退屈なんだけど)、一人の人間は塊じゃないからつまらないことを色々考えている、という当たり前の感動があった。

ラブホで、黴臭い部屋で、社会から一時的に隔離された特別な時間はいつか終わる。あの特別な時間は自分には久しくない気がする。大学をサボって部屋で横になり、たまに柔いチンチンを揉んだりして、キッチンの窓から差し込む夕日をぼうっと見てたときの、寂しいような心地いいような吐き気がするような、あの時何考えてたか思い出せそう。


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