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『アステロイド・シティ』を見た、ポップコーンが食べられなくてムカつく

U-NEXTのポイントで『アステロイド・シティ』をTOHOシネマズに見に行った。
俺はお菓子が好きで、特に映画を見ながらお菓子を食うのが好きだ。映画がつまらなくても食い物が美味しければいい思い出になるし最高なのだが、普段行くようなミニシアターは客がピリピリしてるせいでポップコーンを食べながら映画を見れず(ミニシアターにいるような客は全員孤独で貧乏だから)、たまに行くシネコンでキャラメルポップコーンを食べるのが楽しみになっている。で、TOHOなんてどうせ客層も悪いのでムシャムシャ食って屁でもこきながら映画を見てやろうと思っていたのだが、到着した時からフードコーナーが行列しており、かつその行列が微動だにしない。上映時間を過ぎても全く列が動かないので、今回は泣く泣く諦めることにした。こんな思いをするなら、コンビニで安いお菓子を買ってコソコソ持ち込めば良かった。

ウェス・アンダーソン監督作は入院中で見れなかった前作を除いて毎度劇場で見ているぐらいで好きなのだが、『アステロイド・シティ』は特にお気に入りになった。なぜなら怖いから。
ウェス・アンダーソンは自分で構築する世界にのめり込み過ぎた。神のように世界を、人間をゼロから作り上げる人間の同義に反した行為の危険性を顧みず、ひたすら熱中して気が付いたら狂っていた。会話もままならなくなり、観客は何を伝えられたか分からない。
パステルのイカれた世界では登場人物は操り人形のように動き、母親の死もほとんど無感動のように反応する。モノクロは存在しない人物の人生を語る。そこにエモーションはない。生きた人間はどうでもいいらしい。ウェス・アンダーソンが興味を持っているのは、カメラと人物の動き、そしてカメラが揺れる時の脳が痺れるような感覚だけ。
主人公の少年が肉眼で星を見て網膜に焼き付いたように、ウェス少年は『未知との遭遇』を見て網膜に焼き付いてしまったのか。取り憑かれた少年は月(スクリーン)に愛を投影する。列車や「暗闇で光を見る」というミニ映画館のようなダンボール観測装置など映画的なモチーフも多い。

映画の世界に埋没する。「眠れ」と登場人物たちがこちらに向かって呼びかける。ウェス・アンダーソンは現実を、生を否定し、我々もネバーランドの住民になるよう促すピーターパンになった。ジェイソン・シュワルツマンとマーゴット・ロビーの切り返しは、何重にもなった入子構造をひとつの次元に収束させる。この瞬間、嘘が真になった。主人公らはラストに、書割に見える砂漠をどこまでも奥へ奥へと走り去る。壁は取り去られた。イマジネーションに限界なし。ポップな世界観だけに釣られてたら連れて行かれるよ、かなり危険な映画だと思う。

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