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ジャック・ニコルソンvs俺ら『さすらいの二人』

最近は仕事が急に忙しく、てんやわんやしていた。自分は忙しかったり嫌なことがあると急に眠気が激しくなり、なんのやる気もなくなってしまう。仕事中に寝るわけにもいかないので気合を入れて頑張るが、この逃避グセはどうにかしたい。でも逃げられるなら逃げたい。

ミケランジェロ・アントニオーニの『さすらいの二人』。痺れるぐらい間のある映画。

主人公は記者のジャック・ニコルソン。アフリカで取材中、隣の部屋で滞在していた似たようなハゲが死んでおり、ジャック・ニコルソンは唐突に死んだハゲに成り代わることに。新たな人生を始めるも、成り代わった相手が実は・・・みたいな話。

ジャック・ニコルソンがなりすました理由は明確には提示されず、途中で合流するマリア・シュナイダーに理由を聞かれても「俺は全部から逃げたいんだい」みたいなこと言ってイマイチ分からない。回想シーンから察するになんとなく仕事や妻に嫌気がさした現代病のようにも見てとれるが、それにしてはあまりに必死じゃないの。

この映画はジャック・ニコルソンの「逃げる」という運動が映画全体に貫かれている。「逃げ」の運動は至るところに伝播しており、ワンシーンまたはワンショットの中でも動き回っている。その動きは、狭めのフレームの外側へ向いており、まるでカメラから、我々観客から逃れようとしているようだ。
しかし、カメラもおじさんの緩慢な動きに撒かれるほど遅くない。自動追尾システムのように動きを捉え、ニコルソンが動くたびにアメーバ状のフレームも自由自在に動き、世界を拡張していく。
マリア・シュナイダーと道路沿いのテラス席で休憩している場面では、カメラのしつこさが強調される。音の鳴った方向に瞬時に反応するかのように、ニコルソンらの脇を走り去る車に合わせてカメラも右へ左へと激しくパンする。その機敏さは異様であり、カメラの匿名性とステルス性、そして容赦のないロボットのような無感情の恐怖を感じる。
そして、カメラの後ろにはもちろん映画を見ている俺がいる。「何から逃げてる?」「後ろを振り向いてごらん」で振り返ったマリア・シュナイダーは、スクリーンから座席を見下すような仰角で俺を見る。映画を見始めた時点で俺らもこの鬼ごっこに加担している。カメラ対ジャック・ニコルソンは、俺らとニコルソンとの対決でもあった。果たしてどう逃げる?

車の所有者を偽って一時的にカメラを追い払うことができたものの、マリア・シュナイダーがカメラを引き連れてまた戻ってきてしまうのでまた追われることになる。こんな感じで一進一退が続くが、ラストの有名な長回しで一応決着はつく。
この長回しは、マリア・シュナイダーと会話を終えてホテルの部屋でひとり横になるニコルソンから始まる。なんだか急に脱力したように眠りにつくやいないや、カメラはニコルソンの元からようやく離れて窓を映し始める。本作でほぼ登場しなかったロングショットによって、窓外の人物たちを映し、ありえない遅さでゆっくりと外に向かって進む。フレームは今までのように動きによって広がることなく、逆に狭まっていく。その間に、様々な人物がフレームを出たり入ったり窓に近づいたりし、最終的に警察と妻の登場によってニコルソンの死亡が確認され、長回しは終了する。
カメラが追尾を止めたその瞬間、フレーム外のニコルソンは死んだ。車で走り去る殺し屋風の男たちが殺したわけではない。そもそも銃声も叫び声もなかった。カメラが追わなくなったあの瞬間に死んだ。フレームの外は死の世界。

冒頭のロバートソンの死体を発見する直前に、虫がたかるよく分からない紐みたいなものが一瞬映る。それが最後のニコルソンの部屋にもあり、虫はいないが部屋に飾られた絵画の下からベッドのニコルソンまで紐みたいなものが垂れ下がっていた。これが逃走「線」であることを見抜いたのだ。
ニコルソンは長回し開始直前に窓から何が見える?とマリア・シュナイダーに聞いて、我々の気を逸らせている。そのフレームからは、どうやら少年やおばさんが見えるらしい。動きや音に反応する最新鋭のステルスカメラは、静かに眠る(フリをした)ニコルソンには反応せず、窓外に向かっていった。まんまと我々を騙し、逃走に成功したのだ。

俺は映画を見ている時チェイスの加害者でもあったが、逃げることができる唯一の逃走線をニコルソンと一緒に発見した。俺も嫌なことがあったら寝よう。疲れたら逃げろ!

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