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ロシアによる大規模侵攻から明日で2年

明日は2024年2月24日

私たちの人生が大きく変わったあの日から2年が経ちます。大きな音、強い光。あの日、窓から見えた光景は今でも鮮明に思い出します。

あれから2年経過するのにまだ今の状況が続いていること、なんと表現したらいいかわかりません。

日本に避難したばかりの時は夜泣きをした子供たちですが、日本での楽しい思い出のおかげですっかり元気を取り戻し、お友達に恵まれて今では悪夢にうなされることもなくなりました。

それでも私は2年経ってもヘリコプターの音で動悸がして体がしばらく動けなくなってしまう時があります。

昨年夏にウクライナに一時帰国をして以来、ずっと考えていることがあります。
Kyivの街は復興しつつある。まだ壊れたままの建物も多いけど、修復された建物、綺麗に手入れされた公園、街で働く人たちが眩しく見える。
ここで暮らす人たちは戦争に負けずに前を向いて暮らしているんだなと実感しました。

一方でやはり心の闇は尽きません。
私たちが防空システムに守られた日、違う街では犠牲者が出た。
防空システムがもっとあれば...ロシア軍のミサイルを飛ばす拠点を攻撃できれば...

一人一人の命の尊さは同じなのに、守りきれない人がいることに悔しさを感じます。

そして、ウクライナを守る人たち、そのご家族が失ったものの大きさ... 直視しなければならないけれど、言い表せない申し訳なさに気持ちの整理がつきません。
長期化する戦争の中で、ウクライナ軍も苦しい状況が続いています。娘たちと夫にはあとどれぐらいの時間が残されているのだろう。
ウクライナ人の他の家族と同様、この悩みは私たち家族を襲います。

【ウクライナ支援】
2年間という月日の間に、ウクライナ支援の形も日々変わっています。
島国の日本とは違い、ウクライナはヨーロッパからの物資が陸路で届くので、日本から生活物資を送るフェーズはもう終わっているように思います。

そんな中、2024年2月19日には日・ウクライナ経済復興推進会議も開かれ、国交省や企業による支援が話し合われました。日本だからこそできる技術面での支援や復興支援に心から感謝をしています。

【2月24日のお願い】
どうか皆さん、ほんの数分でもいいので時間をください。

2月24日はウクライナの犠牲者のことを思い出して、追悼をしていただけないでしょうか。

ロシアに誘拐された子どもたちのことを想像して家族のもとに帰れるように祈ってもらえないでしょうか。

ウクライナ人がなぜ苦しみながらもロシアに抵抗し戦っているのか、その理由を思い出していただけないでしょうか。
ウクライナが負けたらウクライナは消える。武力により他国を支配することが容認される世界観の恐ろしさを想像していただけないでしょうか。

2年も経つと関心が薄れてしまうかもしれません。ですが2月24日はどうかウクライナで起きていることを考える時間をいただければ嬉しいです。

いつもお願いばかりで心苦しいのですが、ウクライナが平和になった際には、ウクライナの素晴らしい文化、豊かな自然、素晴らしい技術力で必ず日本にお返しができる日が来ると信じています。
どうか引き続きウクライナに関心をお寄せいただければ幸いです。

【今後のこと】
夏の一時帰国以来、家族にとって何がベストなのかずっと考えできました。今のウクライナの状況を踏まえて、色々今後のことを考え、決断するための時間を持ちたいと思います。

しばらくバタバタするので3月いっぱいは X (Twitter)の活動やウクライナ支援活動を控えて、色々と準備をしたいと思います。(準備の中でもしかしたらみなさまにご協力のお願いをすることもあるかと思います)

また4月以後に笑顔で戻ってまいりますので、どうか引き続きウクライナに関心をお寄せいただけますと幸いです。

最後になりましたが、いつもウクライナを応援してくださり、私たち家族を見守っていただき誠にありがとうございます。

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