自称文系高専生が難関大学経済学部編入試験に合格した話 ~その1~

こんにちは、元工学徒と申します。

数年前、某難関大学経済学部に編入合格しました。ちょっと語りたい気分なので経済への編入経験について話したいと思います。体験記的な位置づけなので、具体的な攻略法についてはあまり書きません。ご注意ください
周りの合格者たちが書いているような高尚な話はしないです。自分のこれまで思ったきたこと、感じたきたことをありのまま書き綴っていきたいと思います。

「その1」では、主に私が経済学部に編入するに至った経緯を書いていきます。経済学部編入に関する体験談については「その2」をご覧くだせー。

お品書き
簡単な自己紹介
・起の1年生
・承の2、3、4年生
・転の春休み、5年生前半
~~~「その1」はここまで~~~
・結の5年生後半
・最後に

・簡単な自己紹介


地方国立高専の情報系学科出身です。

成績の変遷としては

1年次: 20位
2年次: 13位
3年次: 11位
4年次: 9位
5年次: 9位

っていう感じですね。1年で最初に受けたテストでは40人中30位だったので驚愕したのはいい思い出です。


・起の1年生

まだピチピチの1年生。何も知らない1年生。
中学の社会の先生が「お前は工学より新聞記者とかのほうが向いている」とか言ってたけど、合格できたじゃないか!!
ここが私の第一志望の学校!と目を輝かせていたと思います。

このころの私の夢はゲームプログラマーです。
高専を卒業したらプログラマーになって地位も名誉も金も手に入る!!
と本気で思っていました。

この頃は専門教科もほぼなく、自分の進路がそうであると妄信していました。ちなみに基本情報技術者試験(午後ノー勉)を受けて落ちました。合格テキストに午前問題のことばっか書いてたから、午後問題は簡単と思い込んでいたというのはここだけの話です。ならしょうがないね!


・承の2、3、4年

2年からプログラミングの授業が入ってきました。
イメージの世界で生きていた僕は、プログラミングに対して

カタカタカタ…カタタン(強めエンターキー) → いっぱいすごい結果バン! → 仕事後ブラックコーヒーズズズ

と本気で思っていました。しかし、実際に書いてみると

「あれ、思ったより地味だぞ…」

なんということでしょう。プログラミングが楽しくないではありませんか!! コードはエラー地獄になり、デバッグ作業は困難を極め、何よりあんまり楽しくない!! 
おまけにブラックコーヒーは苦くて飲めたもんではありません

気づいた時にはプログラミングが嫌いになっていました。課題のプログラムは見せてもらうことも多くなり、実験系の教科もあんまりしっくりきませんでした。(ネットワークはまだまし)

一方、文系教科はとても楽しかったです。政治・経済、倫理、地理などなど自分の中の世界が広がっていく感じがしてとても楽しかった。これらの教科を毛嫌いする周りと対比して、心からこれらの教科を楽しんでる僕は「やっぱり文系なんだな..」と改めて思いました。

3年次、高専のモラトリアムに嫌気がさしたことや単純に情報系から離れたかったこともあり、哲学の教養書や漢検の本、TOEICの勉強を自主的にはじめるようになりました。
暇つぶしで始めたTOEICの勉強がのちの進路選択で役立つことになることはこのとき誰が予想できたであろうか

4年次、皆が遅かれ早かれ進路について考え始める時期です。もちろん私の進学希望先は経済学部!!

…てなことはなく、九大の工学部電気情報工学科でした。
うるせぇ!そんなこたぁわかってる。なんでまだ専門に縋ろうとしているのかって?

簡単な話、まだこのころは経済学部編入は知らなかった。そして、文系進学が職業選択の幅を狭めると考えていた。旧帝大なので、もし自分の専門に限界が来ても文系就職で無双できるだろうなぁ。ただそれだけです。

おまけに九大は、問題の選択の仕方によっては苦手なプログラミングが課されません。そして数学の試験範囲がばか広いうえに難易度高めだから九大目指しておけばほかの大学編入試験の数学も解けるようになっているだろうと思いました。

こうして九大編入試験に向けて数学の勉強をしているうちに(うちの学科の中では比較的)数強になりました。TOEICも気づいたら715点ぐらいとってました。

しかし、春休みに入る前に担任の先生に「この順位では九大工学部は正直厳しいかもしれませんね」みたいなことを言われ、そのころの僕はガラスのハートだったこともあり自信を喪失していました。


・転の春休み、5年生前半

春休みはずっと数学やら電磁気やら九大に関連しているものをたくさん解いていました。でも、なかなか身が入りません。そりゃそうです。九大工学部に行きたい理由が弱いものばっかりだから。あまつさえ、理系科目がとくに楽しくなかったから。
平均的には1日4、5時間くらいしかできませんでした。

モチベ維持のために入れたstudyplusでフォローしている難関大学工学部志望の高専生は、毎日10時間以上やっているというのに…
いや、たぶんこの人たち編入じゃなくて一般入試でも難関大いけるんじゃないか…?

ズタズタの心をむしばむように、youtubeの魔の手が!!
そしてよりにもよってwakatteTV!!春休みの終わりごろには、勉強も大してしてないのに無事に学歴コンプを発症していました。

さて、迎えた4月!期待に胸を膨らませる新入生とは対照的に、私はというと、進路という絶望に打ちひしがれていました。
九大に入ることができるのか?じゃあ違う大学を受けるか?でもどこに?
もしかして、入学しても高専と同じようなことしないといけないの…?

この時の私は、進路や将来に対して大きな不安を抱えていました。朝から晩まで進路について考える毎日。体は何かに押さえつけられているかの如く重く、勉強には全く身が入りませんでした。

九大はダメでも他の大学ならと思い、進路希望もころころ変わりました。その時の自分は頭おかしかったので、本命の大学とは別の大学の推薦試験を受けたりもしました。頭おかしすぎだろ
その推薦試験は、僕の高専での成績やTOEICのスコア的に合格圏内のものでした。しかし、合格するやる気も能力もなく、当然のように落とされました。担任の先生には当時いろいろと心配をかけたと思います。

推薦試験に落ちた直後はショックでした。しかし、滑り止めの専攻科に合格でき、卒業後無職への道を回避できたため、後に引きずることなくその後の勉強に励むことができました。

あとは、本命の大学(迷走した末、結局九大工学部)に向けてひた向きに努力するだけ!!虚心坦懐、これからさらに勉強のギアをあげてくぞ!
その矢先、自分の進路を変える大きな事件がありました。

なんと、担任の先生が自分をプログラミングできない側の人間として裏で話していたらしいのです。(真偽不明)

は?さっき、自分を"プログラミングできないし嫌いな人間"という風に紹介してたじゃんラマヌジャン。何を今更言ってるんだ?と思った読者の方々、ラマヌジャンの功績に免じて説明のチャンスをください。

自分でも”その”自覚はありました。しかし、自分で思うのと他の人間(しかも教授)に言われるのはやっぱり重みが違います。まして当時の自分は、プログラミングが苦手なことから目を背けて試験勉強をしてきたのです。

その時、本当にやりたいことは何だろうかと自分に問いかけました。
大学に入ってプログラミングがしたいのだろうか。
―——否。
研究で成果を残したいのだろうか。
―——否。
そもそも、理系に進学したいのだろうか。
―——否。

その時、僕が今まで自分に嘘をついて試験勉強をしてきたことを悟りました。高専時代、文系科目を楽しんで聴講していた自分に嘘をついてはいけない。

よし、文転しよう。
それは6月下旬、空にかかる雨雲とは裏腹に、僕の心は澄み切った決意で満たされているのでした。

… え?うるさい? 

その2へ続く…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?