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他人に取るマウント素材(知識や情報)は、大抵の場合どうでもいい

どうも、(おはよう!会えなかった時のために、こんにちは!こんばんは!おやすみなさい!)えんどうです。

世の中にはマウントを取りたがる人がいる。

ぼくはマウントをとってくる人がいることを知っているし、取りたがる人がいるのもわかっている。それに加え、その人たちが「なぜ、マウントを取りたいのか」も想像することはできる。

想像することはできるものの、自分がそうなりたいわけではない。むしろ、忌み嫌う側の人間だ。無自覚にマウントをしてしまうようなことも過去にはあっただろうし、いまでもあるのかもしれない。そうであるのだとしたら、それを目の当たりにした人たちには陳謝する。

マウントは”百害あって一利なし”であり、決して誇れるものでもない

過去には、そんな感情と自戒を込めたポストもしているが、改めてマウントが本当に情けない態度であることを指摘しておきたい。

どうでもいい知識(情報)の保有合戦

これが結論だ。

マウントをする、マウントを取りたがる人たちが後生大事に抱えている「他人と自分との間にある情報格差」なんてものは、正直なところ「どうでもいい知識(情報)」の蓄積だ。

お互いに何を持ってるのかを探り合いながら、時として自分の方が相手よりも優位に立てる知識や情報を持っているからと偉そうにドヤ顔をすることで相手の悔しそうな表情を見ることが楽しいのだとすると、あまりにも悪趣味すぎる。

もう一度言うが、誰かとの間で構築しようとする情報格差を狙って保有する知識はどうでもいいものだ。

「情報は大事だ」とか「情報は資産だ」という意見はわかる。存分に理解しているし、それを日々実感している身分でもある。しかし、だ。それはあなたのやっている仕事や業務、趣味や興味がある話の中で通じる話であり、大多数の人にとってはどうでもいい話だ。

では、ぼくが世界で唯一無二の「ある知識」を持っている希少な存在だとしよう。この「ある知識」を獲得するのに、ぼくが費やした時間は1万時間を超えるものであり、これを活用することで財をなすことも可能かもしれない。

その「ある知識」とは何か。気になるだろう。

「箸の持ち方(オリジナルver.)」だ。

もちろん架空の話であって、オリジナルの箸の持ち方など子どもたちに箸を持たせたらいくらでも出てくる。しかし本筋はそこではない。

どうだろう、あまりにもどうでも良過ぎて本稿を読むことをやめたくなったのではないだろうか。世間でマウントをしあっている人たちがやっているのは、こんなどうでもいい知識や情報のひけらかしなのだ。

生きる上で必要な知識は義務教育で終わっている

生きる上で必要な知識は義務教育機関で履修が(一応)終わっている。

もちろん、できないことだって沢山ある。ぼくは「生活」の授業で裁縫を取り組んだが、シャツのほつれたボタンを糸でチクチクと縫い合わせられるのかというと全くできない。

しかし、義務教育を修了して20年以上経過したが、それなりに生きることができている。ありがたいことに、結婚をすることもできたし、子どもとの生活にも恵まれているのだ。

元来、スポーツが好きだったこともありスポーツにまつわることでお金が稼ぎたいと思うようになったし、実際に生計を立てるようにしていた時期も10年ほどあるが、世の中でスポーツは価値があるだとか思われている節があるし、実際にお金が動いていることからも立派な産業として成立している面も確かにある。

それは否定しない。まったく否定するつもりもない。

ただ、それは日本の国民が1.2億人いる中で、日常的に気にしている人はどれほどいるだろうか。せいぜい100万人いたら多い方ではないだろうか。1.2億人中の100万にだとすると0.8%である。1%にも満たないほどだ。

いいだろう。別に500万人でも構わない。それでも日本国民のうち、スポーツへ日常的に興味や関心があって生活を送っている人の割合は5%にもいかないのだ。

となると、スポーツの知識や情報をいかに深く広く保有していようが、大多数の人からしたら「どうでもいいこと」なのであって、無価値であるといえる。つまり、人が生活を営む上で必要不可欠な情報なのではなく、娯楽として堪能するために身につけているのでしかないことになる。

それらを懸命に競い合ったところで、どうでもいい側の人間からすればドングリの背比べであり、アリの口喧嘩みたいなものだ。

もちろん、そのちょっとした差がビジネスの中では非常に重要な示唆があり、大きな価値に変換されることは重々承知している。それを日々実感している立場でもある。だから、その差を生み出そうとすること自体は否定しない。

ただ条件がある。

同じ土俵で向かい合っているもの同士でやりあえばいい。唐突に場所を誤って土俵に上がってきたり、他人の推挙で勝手も知らないのにもかかわらず土俵に上がってきた人間に向けてマウントを取るようなことをしたところで何も嬉しくはないはずだ。

もし、仮にそこで叩き潰したとしても、別の機会には自分が叩き潰される危険性があることを自覚するべきだ。

なぜなら大多数にとってはどうでもいいと言うことは、あなたがどうでもいいと思っている知識や情報でマウントを取れる人は多数存在すると言うことにもなる。

いつ、誰が自分に情報の刃を向けてくるのかはわからない。

わからないからこそ、謙虚に振舞うべきではないだろうか。

そんなことを日々考えているものの、先日、三男くんを寝かしつけている際に「寝言」をいったのがあまりにも可愛すぎたので、妻さんに自慢した。

あまりにもうれしく、みれたことへの満足感や、その瞬間に自分が寝かしつけていたことの喜びが爆発してしまったのだ。

すると、不満そうな表情をしている彼女がいた。

次の瞬間、彼女はぼくを睨みつけながらこういった。

覚えてろよ

...。

ではでは。

えんどう

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