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語彙が豊かであることと説明が上手であることは関係ない

どうも、(おはよう!会えなかった時のために、こんにちは!こんばんは!おやすみなさい!)えんどうです。

「すげぇ!」「やば!」「きも!」など、もう少し表現の仕方はあるだろうに...と思うような自分の語彙力が低いことを嘆く毎日を送っている。あなたはどうだろうか。

自分が語彙が豊かであることを自慢する人間にはあったことはないが、語彙の貧しさを指摘してくる人間には結構数あったことがある。指摘することが悪いわけでも指摘されることが悪いわけでもないと思うのだが、どうも表現する力が乏しい場合には蔑む対象になりがちなことに間違いはないようだ。

おそらく、こんなテキストをつらつらと書き連ねるnoteのようなサービスをネットにアクセスした状態で読んでいる人は、きっと様々な語彙に触れていることだろうから、読み進める中で感じる違和感などには敏感だろう。

表現に違和感を抱くということは、異なる表現や表記をすることで伝わりが良くなるだろうと感じているからに他ならないのではないか。

しかし、最近になって思うのは「語彙が豊かであること」と「説明が上手であること」は関係がないだろうということだ。

「説明が上手であること」は「相手に合わせること」

まず、説明が上手な人とはどんな人だろうか。

わからないことや不明なことがあった場合、あなたは自分で調べるはずだ。調べた上でもわからなければ誰かに説明を求めることになるだろうが、その説明を受ける際に相手の語彙が豊かであることは重要だろうか。

一定程度は必要だが、必要以上に必要なのかといえば決して必要ではない。

たとえば、あなたはパソコンをいじることに苦手意識を感じているとする。文書作成ソフトを利用しており、印刷し内容を添削しようとするものの印刷仕方がわからない。

困ってしまったあなたは先輩上司や同僚に助けを求めるはずだ。

その際に、以下の二通りでどちらがわかりやすいだろう。

① 「ctr(command)+p」で印刷プレビューでいきますので、問題なければ「印刷」にカーソル合わせてクリックしてください。
② ここ(ctr(command))とここ(P)を押してください。印刷の見本みたいな画面になるので、ここ(印刷)でポチッと押してください。

②の方が相手に合わせた説明をしていることがわかるだろう。上でも書いたが、あなたはパソコンを触ることに苦手意識を抱いているのだ。そんな人に向かってコマンド操作を説明したところで理解できるはずがない。

この「知っているから相手に理解されないかもしれない言葉を使うこと」は語彙マウントや知識マウントだと言い換えることができる。つまり、自慢だ。相手の理解など二の次なのである。

「語彙が豊か」なことは表現の一つ

語彙が豊かであるからこそ、不要なことは伝えようとしないことを意識する必要があり、言葉を知っているからこそ、相手がどこまで理解できるのかを推し量った上で選んで言葉を口に出すべきだ。

日本語がわからないアメリカ人に道を教えるために、英語が得意ではないあなたは知っている単語「straight」「turn」「left」などを総動員した上で辿々しい説明をするだろう。豊かな英語表現でIt goes straight ahead like a beautiful cedar tree.綺麗な杉の木のように真っ直ぐに進んでいく。とか言わなくていい。

そんな表現は不要で余計、無駄だ。

語彙が豊かであることは説明をする際に十分条件であるものが、必要条件ではない。あればあるに越したことはないが、なければないで困ることなどない。

つまり、語彙が豊かであることは表現方法の一つであり、必要な時に必要な分だけ利用すれば良い。手元に塩があるからといって料理に全て入れてしまえば、とても食べれないものになってしまう。

語彙の豊富さは調味料の種類のようなもので、たくさん用意されているに越したことはない。醤油にみりん、砂糖や酒などが調理の際に用意されて入れば調理のレパートリーが増えることにはなるだろうが、一つの料理に全ての調味料を入れたからといっておいしくなるのかといえば決してそうではない。

何事にも適量があるものだ。

語彙が豊かであることに興味がある人は多くない

あなたがたとえ他人と比較して語彙が非常に豊かであったとして、それに興味を持って評価してくれる人などはいないだろう。

村上春樹のような表現者であれば別だ。しかし、情景描写を大いに評価されている村上春樹ですら「描写は物語の重石になる」としており、必要な人が楽しめばいいと考えている。

そう、語彙が豊かであることは説明の際には重石となるのだ。

会話や表現方法を楽しむ機会でもあれば存分に味わえば良いが、多くの人はそんなことを求めていない。大抵の場合、豊かな語彙を披露しようものなら「まわりくどい」と一蹴されるのではないか。

語彙が豊かであることに興味がある人など、多くはない。つまり、あなたの語彙が豊かであったとしても、それを求める人などいないことを意味することになる。

だからといって、語彙が乏しくあるべきであるとは言わない。過度な語彙の多用は避けた方がいい、と述べるの止める。

まぁ、知らんけど。

ではでは。

えんどう

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