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「ひとりになりたい」という衝動。

「ひとりになりたい」
とたびたび思うことがありました。

これは大阪で暮らし始めた2019年から、定期的に訪れていた感覚です。

結婚して大阪で住み出してから、今年の7月で丸2年が経ちます。

正直まだ2年しか経ってないんだなと思うほど、たくさんの出来事があったなと思います、ほんとに。

僕は今、念願の古民家暮らしを始めて、改修をしたり、畑をしたりと自分のしたかったことを楽しんでます。

「ひとりの時間がないのか?」

と言われると、そんなことも無く、義娘がフリースクールの日は嫁さんが送り迎えしたりして、赤ん坊も連れて、夕方まで帰ってこない日もあります。

そんな日は僕は古民家でひとり改修作業をしたり、担当の家事をこなしたりして過ごしています。

でも今日のように、不意にひとりになりたい衝動に駆り立てられることが、ここでも起きています。

「大阪の窮屈な暮らしだったから」

と思っていましたが、ここ美山でも同じ事が起きています。

なんだか最近皿洗いするのがイライラしていたんですよね。

そういう前兆は自分でも気づいていました。

流しの中に無造作に鍋やボウルが重なっているのを見ると、無性にムカついてきて、さっさと綺麗に洗ってしまわないとと荒っぽい手つきになっていきます。

僕は皿洗いとか掃除とか、自分は得意な方だと思って生きてきました。

実際周りからも綺麗好きとまではいかなくても、

「綺麗にするね」「丁寧だね」

なんて事を言われることが多かったので、それなりに綺麗好きなんだろうなと思っていました。

ただムラもあって、潔癖というわけではなく、虫とかいてもあまり気にならないし、古い道具や朽ちた木の雰囲気なんか大好きなので、

「何が僕は嫌なのかな」って考えてみました。

すぐ思いつく言葉があって、それは

「美しいか、美しくないか」

という視点でした。

僕は鍋やボウルが使われて色々なものが残ったままの状態が美しくないから、嫌なんだと思いました。

義娘がモノを使いっぱなしのして、床に転がっているのも美しくないからストレスみたいです。

それを美しい状態に戻すことが得意だけど、それをたくさんこの家でしてきて、毎日習慣的にしてきて思ったのは、

得意で好きだけど、「大量に、またすぐに壊される」みたいな事が繰り返されるとストレスになってくるみたいです。

家事はやらなきゃいけない事なんだけど、出来ればやりたくないんだなと気付きました。


でも、ひとり暮らしの時は自炊してたけど、こんなストレス無かったなとも思いました。

同じことしていたと思います。
まあ、洗濯機がなかったんでコインランドリーでしたけど、それくらいの違いでしょう。

おそらくこの違いはシンプルに「量」の違いだと思います。

ひとり暮らしの時は洗濯も週末まとめてすれば良かったけど、今は家族4人だから毎日2、3回は回さないといけません。

洗い物も同じです。
最近義娘には自分で洗うようにさせてます。
それくらいの違いでしょうか。

僕は大阪時代2020年4月から外での仕事やめて、家で主夫化してきました。

嫁さんがかれこれ10年弱個人でビジネスしてきている、ビジネスが好きな人なので、経済的な面でも僕より稼いでいるし、僕が家に入る事になりました。

僕は自分のしたい事を諦めざるを得ない、まあそれはもう仕方ない事ですね。お金になっていなかったので。

で、今は家事や子育てをし、嫁さんの仕事中は子守りしたりして、古民家改修や畑や発信したりしている訳です。

融資の返済とお小遣いを貰っていて、まあ高卒初任給くらいのお給料でやってます。

僕はあんまりお金使わなくても生きていけるので、そこにあまり不満は無いです。

まあもっと貰いたいかと言われれば欲しいけど、僕みたいなタイプはあると思うと、その分使う傾向にあるので、少なめでちょうどいいのかもしれません。

なんか話がまとまっているような、そうで無いような気がしますが、このままいきましょう。

つまり僕はなぜひとりになりたいのか。

ひとりにはなれているんです。時々は。

でもそれは違うみたいです。

家でひとりの時間ではあるけど、目の前にやる事がたくさんあるから、気持ちが休まらないんですよね。

僕は美しく暮らしたいから、色々こだわりがあるみたいで、その感覚が嫁と義娘に合ってないこともよくあるみたい。

なんかストレスになってしまう。

やりっぱなしのモノとか、色々無造作になってるのとか色々ね。

僕以外にやる人がいないから、結局一番気になって落ち着かない人、つまり僕がそれを片付けていたり、時に我慢して見なかった事にして、気付いてくれるまで待ってみたり、それでも気付かない時に直接伝えるんだけど、もうその辺だとソコソコストレスになっていて、怒ってしまったりしてうまく伝わらないとか、そういう悪循環が起きています。

ひどい言い様だなって思われそうなので、良い面も言うけど、大阪の頃に比べたら、最近は嫁さんも義娘もよくやってくれています。ほんとすごい頑張ってる。

料理も毎日作ってくれるし、仕事も頑張ってるし、義娘も発達グレーみたいだけど、ありがとうとか感謝できるようになってきたしね。

だから僕の周りの人や環境は良くなってきているのに、なぜ僕はそれでも、ひとりになりたいのか。という事なんだよなあ。

その答え、というか、多分これだなって思う事がすぐ浮かびました。

「僕は他人と一緒に暮らすことに慣れてない」

この他人と暮らす経験が僕はほとんど無いというか、いつの間にか苦手です。

実家をでたのが25歳とかで、それから大阪で暮らすまでの9年間で同棲とか、共同生活とかほとんどしたことないです。

フィリピンにいた時、始めはホームステイしていたけど、フィリピンでも一緒に暮らすのが疲れてきて、1年でひとり暮らしに変えてもらいました。

で、この9年間はそんな重要じゃないと思っています。
むしろ、実家での家族との25年間の暮らしによって、今の僕の「家」という家族と共に暮らす場での暮らし方が形作られていったと思うのです。

僕の家族は過去ブログにもたくさん書きましたが、機能不全家族レベルで、ギャンブル、酒、借金、暴力なオヤジが暴れて、僕が13歳の時、離婚します。

母親ひとりで兄妹3人育て上げるために、おかんは朝から夜中まで働いていました。

そのため、母親との関わりも薄かったし、そもそも母親はちょっと不安定で僕は万引きして捕まっても怒ってもらえなかったなーとか思って、愛されてなかったと思って生きてきたような、そんな類いの家庭環境です。

僕はアダルトチルドレンで、そのワークも取り組んできましたけど、色々対人関係とかコミュニケーションに問題が出てくるみたいで、

他人と一緒の暮らすことも、結構僕にとってはシンドイ状況なのかもなって改めて今思っています。

話戻ると、まあそんなあまり良い家庭環境ではなかったので、離婚をきっかけに親とも兄妹ともほとんど家の中で話さなくなりました。

小学生の頃までは遊んだりしていた兄妹も、中学入って体が大きくなると兄貴とも良く喧嘩して、当時流行ったバタフライナイフなんか出てきて、危うく刺されるかと思いましたが、親指切っただけで済みました。

そのあたりから万引きや自転車盗んだり、麻雀したりゲームしたり、女の子と遊んだり、中学生だけど23時近くまで遊んだりしていた時もありました。

僕は容量良いんで、勉強もクラスで一番だったり、運動もできたので、優等生でしたが、

万引きとかキレて友達殴ったり、壁に穴あけたり、先生に怒鳴り返したり、とにかく繊細で極度に不安定な心を持ち合わせていました。

僕の性質の話になっちゃってますが、そんな人間なので、

つまり自己中心的な人間です。

自分の事にしか興味がない、極論みんなこれでしょうが、僕が言いたいのは程度の問題です。

その特性は誰かしら持っているけど、その強さはばらばらで違う。

自己中心性が強い性質だけど、自分のことは自分でやってきたし出来た。

勉強も運動も、万引きしてご飯食べたり、文房具揃えたり、服揃えたりね。

やり方が良くなかった。

だから家族のことも家で一緒に暮らしてて、なんとも思っていなかったと思う。

気にして何かしてあげた記憶もないし、

おかんに甘えて飯も洗濯もやってもらっていた。

まあ中学生なら普通と言えば普通かもしれないけどね。

でも貧しいし、オカンが大変なのは知っていたから、自分なりに何か手伝いはしていたと思う。


僕は人の世話が苦手なのかもしれない。

自己中だから、自分のした範囲ならできるけど、人の事までとなると負担なのかもしれない。

義娘も発達グレーで天然の自己中だけど、その残骸が色々あって嫌になる。

それを気にしてしまうのは、僕の性質だから変えるのは難しいかもしれない。

「諦める」とか「大らかになる」
みたいな視点を取り込めたら良いのにな。

僕はもう父親なんですよね。

「父親としての自覚はあるのか?」

そんな声が聞こえてきそうですが、正直僕にはわかりません。

でも実子の赤ん坊は純粋な気持ちで可愛くて仕方がないです。

僕は何があってもこの子は守りたい、そう本当に思っていますので、一応父親であると自覚はしているつもりです。


赤ん坊の世話はなぜかストレスにならない。

なぜこうなるんだろう。

血が繋がっている唯一の家族だから?

なぜ純粋な気持ちで世話してあげたいと思うのだろう。

赤ん坊だからなのか?今だけってこと?

多分違う。

「俺がやってやってんのによぉ」
「なんで俺がやんなきゃいけねーんだよ」

そんな声が出てきそうでです。

多分、この表現は強すぎるけど、

「恨み」とか、「復讐心」みたいなものが僕の中でまだうごめいているのかもしれない。

嫁や義娘へのね。

大阪での暮らしは正直辛い事の方が多かった。

極端に言えば、2人にいじめられていた。

そんな気さえする。

実際はそんな毎日の様に辛い日々じゃないよ。
でも記憶を振り返ると、当たり前の日常はどこか記憶に残りづらくて、辛かった記憶はよく覚えていたりするから、こうなっちゃうんだろうね。

赤ん坊が産まれた時は、人生で一番嬉しかった。

でもこの2人がいたお陰で僕は自分と向き合い、強くなっていく事ができた。

苦しかったけど、成長になった。

だから恨んでいないはずなんだけどな。

どこかでまだ成仏していないのかもしれない。

そういう過去の記憶や、相手の印象からストレスが生まれているという事もありそうだ。


あとは僕は他人に何かをしてあげても、僕の心は喜ばないのかな。とか思ったりしている。

自己中心的ゆえに、自分が楽しいことを人が喜んでくれれば、一石二鳥っていうか、それで良いんだけどね。

今ビジネス学んでいるけど、「他人のためにしたいこと」って全然出てこない。

「自分がまずしたいことをする。それを他人が楽しんでくれたら良い。そういう人もいますからアリです」

って教えてもらった。
僕は間違いなくそっちだ。

でも僕は丁寧でソコソ綺麗好きだから、家事とか出来ちゃうし、

もともと優等生だから事務仕事みたいなこともできるし、

不穏な家庭環境だったから、周りの空気を読む力、他人が何を感じているか察する力がついちゃって、周りに気が向いてしまいがちでには色々気付いてしまう。

でもこれらは本当はしたくない事なんだろうな。

本当は家事もしたくないし、事務仕事みたいなのもしたくないし、周りも気にしたくない。

自分に集中して、もっと創造的に動きたい、ご飯や家事は誰かに素敵な感じにやってもらいたい。

子育ては合間に関わりたい。

そんな感じなんだろうな。

でも現実はそうまだできない。

でも誰か家政婦さんでも雇えないかな。

そしたら皿洗いも洗濯も掃除もしないで良い。

僕の時間が増えて、家政婦さんにお金かモノとかでお礼して。

昔の日本人は大家族だった。
おじいちゃんはおばあちゃんも一緒に住んでたから、家を運営する負担がもっと分散されていたんじゃないかな。

小学生の子供が赤ん坊を背負って子守りする写真があったけど、そうやって子供も働いていたんだってね。

そういう時代に憧れる。

その一方で、個人主義にどっぷり浸かって育ってきた自分の性質が、いざそういう環境に身を置くと、

「ひとりになりたい」とひとりである事を求める。
っていうジレンマというか、矛盾が起きる。

だから僕の中には相反したものが葛藤している。
家族で仲間で、協力し合う生き方に憧れる一方で、ひとりで自由に気ままに生きたい、という個人主義出身のクセが共存しているんだよね。

家に帰ると心が安らぐって、そういう場にしたい。

けど今は家に帰るとやる事だからけで、なかなか休まらない事も多い。

僕は田舎に移住して古民家で暮らして、夢を実現して、それなのにまだ不満を抱えていて、家から出て行きたくて、ひとりになりたいって思ってる。

なんなんだよこの感じ。

でも大丈夫。

これも流れがある。

今はおそらく立ち止まって休む時。

この波は終わり、また良い波が流れてくる。

そういうものだとは、わかっているから。

という事で、今日は少し家から離れたい。

明日名古屋で大相撲観れるそうで、名古屋へ行く。

ひとりで行ってきて良い、と言っていたのでそうしようと思う。

せっかくだからホテルでも取ってひとりになりたい。

という事をこれから嫁さんに提案してみようと思う。

なんなら今日の夜から泊まりたい。

2泊しよかな。

今日思ったのは、毎月2、3日自由な外泊の日が欲しいなと思った。

そしたらもっとバランス取れそう。

大阪でも嫌になって家出したこともあったけど、事前に正式に決めておけば、そんな無理な行動もせずに済んだかもしれない。まああれはあれでめっちゃ楽しかった。
川で火焚いたりしてね。

僕は責任感強めなので、家から出たら迷惑かかるんじゃないかって結構思って、それが行動を抑制させる。

自分を抑える傾向が強いから、仕組み的に時々逃してやらないといけないようだ。

ちょっと今から嫁に聞いてみる。

長い話になったけど、ひとりになりたいって僕にとっては大事なサインだ。

見逃がして無理を積まないように気を付けていこう。