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僕は生粋の気分屋です。でもその自分を責めないこと。
気分が乗らない事とか、気持ちが盛り上がらないことを責めたりしていませんか?
僕は気持ちの波が激しいので、調子の良い時と悪い時がめちゃくちゃあります。
週ごと違うし、もはや2、3日おきか。
いや、一日の中でも、ちょっとした事で気分が良くもなり、悪くもなります。
僕の場合は悪くなっている事の方が多いかもしれません。
後ろ向きになってしまうのです。
「自分は何者なんだろう」
「俺には何もできない」
「あの時はあんなに盛り上がっていたのに、今は気分が乗らない」
そんな自分を責めて、さらにネガティブな感じになって、頭を抱えて、鬱々としていく。
そんなことが最近も起きていました。
僕の人生は、そのものが気分で出来ているようなものです。
同じ環境に3年がちょうどいい。
それ以上は居られない、続かない。
でも木工とか古民家の改修とか、
ずっとしまったままの宝物の様な感じで、いつまでも手放せないものもあります。
でも、ずーっと、それをしていたいわけではなくて、かと言って全くもって飽きてしまった訳でもない。
急にやりたくなったら出来るように、いつも近くにいて欲しいっていう感じ。
でも後ろ向きになってくると、そういうことも忘れて、
「何もやりたくないな」
ってなって、そんな何も長続きしない自分を責めたりして。
「僕にはアンテナが張ってるんだ」
と思うと、すごく自分をもっと信じたいと思いはじめました。
暗い気持ちのまま、理央さんに話してみると、
「サチオさんは宇宙にアンテナで繋がっている。」
って言ってくれて、だから僕はたくさんアンテナから、大切な何かを受信して、それが気まぐれで気分屋の様に見えて、
実はその「何か」に、敏感に反応できて、素直に行動している。
その時は盛り上がって、エネルギー高くて、楽しくて、一気にエネルギー全開に注入する!って感じになる。
でも問題は気分が落ちた時に、その最高潮の盛り上がった気分と比べてしまうこと。
「あの時はあんなにやる気があったのに。毎日ワクワクして楽しすぎてやばかったのに。」
「今は大して気持ちも盛り上がらないし、そんなワクワクしてこないし、やる気も普通。。そんな風になってしまう自分って何なんだろう。」
って自分の今の状態を責めてしまいます。
責めるのが良くない。
でも比べてしまう。
でももうこれは仕方ないよね。
なんでも初体験は激しい記憶に残るし、知らないことをするって楽しい。
あの気持ちは唯一無二だから、それを持ったまま今と比べるのは、やっぱり違う性質のものを比べているから、本来比べちゃダメだよね。
暗い気持ちになったりしても、それは悪いことじゃない。
そこには意味があって、その意味をちゃんと捉えられてるか。
「悲しみ」がなぜ人間の心にあるのか。
「悲しみ」が無ければ、争いは止まらないし、相手を思うこともできない。
逆に言えば、「悲しみ」をちゃんと感じている人は、
誰かの悲しみをちゃんと感じて、本当に寄り添ってあげることができる。
理央さんに話を聞いてもらったことが、暗い気持ちを少し変えるきっかけになったけど、
誰かに話してみる。
というのも凄く気分変えるには良さそう。
僕は1人が好きなので、そういうことあんまりしてこなかったけど、すごく良いなって今回は思った。
感情のアンテナが大きくブレる人間だけど、その分、誰かの感情にもピントを合わせられるのかもしれない。
僕みたいな気持ちがブレやすい人は、自分のアンテナを信じましょう。
きっともっと活き活きして、自分で納得して生きていけそうな気がする。