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光は常に正しく在り その⑫:憶えてはいられないけれど、忘れられもしないこと

ぼくたちはどうやら、生きていくだけで何かを失くしていくみたいだ。せめて、失くすのが少しずつならば、きづかないまま鈍感でいられるかもしれないのに、大きな喪失はいつも突然やってくるから、ハートがそのスピードに全然追いつけず、それが哀しいことかどうかさえ、解らなくさせてしまう。

多分、神様は、そんなときのために、心に忘れる機能をつけてくれたんだと思っている。だけど、ぼくのそれはどうやら少しバグってしまっているらしい。神様はとってもお茶目だね。

匂いも視覚も、その一瞬の出来事のことはまるで再現できないくらいにすぐに薄れてくれているのに、この心が感じる痛みだけは同じように再生される。

いや、そんな風に思っているだけで、もしかすると、その時よりももっと強い痛みをこの胸にもたらしているのかもしれない。「こんくらい痛かっただろ?」って、想像が事実を大きく膨らませているのかもしれない。永遠に柔らかな罰を与えるように。

憶えている、ということは決して良い側面ばかりを持つものではない(というか、ものごとの全てがそうだ)。何もかも失くしてしまったほうが良いことだってたくさんある。そのために忘れる機能があるのだとすれば、より強い痛みをもたらすようなこんな忘れ方は、やっぱり何かがバグってしまっているんだろうね。

感じたことは音楽や表現にしたい。ずっとそう思っている。出会ったことや、一緒にいたこと。そのどれもが、ずっとちゃんとは憶えていられないことだから。

でも、それはただ、そんな風にできている、っていう機能の話であって、是非のないとても自然なこと。もしも、あなたが忘れてしまうことを哀しいと思えるのなら、あなたのいま生きている場所が、とっても素敵だってことさ。

うん。だから、忘れてしまいたくないって思えることに出会えて良かったよ。そう信じていけたら、この先何があっても、ちゃんと思い出せないだけで、ずっと忘れずにいられる。この身体が魂だけになったとしても、遺した想いは消せないから。

音楽は、思い出を再生する装置。一緒にいた証拠そのものの輪郭がぼやけていっても、たった3分間のメロディーで、一瞬にして匂いや視覚は蘇る。事実よりも強く、まるで魔法のように。憶えてはいられないけれど、忘れられもしないこと。

みんな会いたいひとがいる。みんな待っているひとがいる。それが本当なら、会えるうちは会っておかないとね。どうか何も解らないままで、あなたの信じたことが変わらないままで。ピカピカの魔法が解けないままでいて。

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