エトランジェ_1

エトランジェ 喫茶店にまつわらない短編集

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その3「田中」

「いいともが終わって1日が23時間になった」

 ときどき、田中はポエティックな発言をする。それも何で今?という意味不明なタイミングで。なんで今?は、発言そのもののタイミングと、 取り上げる話題の鮮度、両方にかかっている。

 午後4時。太陽を嫌う暇な奴らが活動を始める頃合いだ。4人がけのテーブル席に田中と俺は向き合って座っている。茂じいはブレンドコーヒーを出すとバックヤードに引っ込んでしまった。つまり2人きり。
「それってニートだから?」
「お客様に向かってニートとは失礼じゃないか」
「じゃあ、お籠もり様で」
「それだとひきこもりっぽいな」どっちでもいいよ。

 田中はうちの数少ない常連客だ。推定年齢は皆が俺と同じくらいと言うので30手前だろう。近所に住んでいるらしい。偽名でなければ名前は田中。職業不明。平日休日昼夜を問わずふらりとやって来るのでニートだと踏んでいる。

「比喩じゃない」真顔だ。田中の表情は変化に乏しいので、いつも真意を掴めない。掴むつもりなんて最初からないので困らないが。
「なにが」iPadのKindleアプリで「1巻目は無料」のコミックを読みながらの生返事。
「1日が23時間になった件」
「ほう。続けて」
「いいともが昼の1時間を文字通り守っていたんだよ」
 何が文字通りなのか分からない。いや、問題はそこじゃないか。
「土日はどうすんだよ」
「増刊号があったじゃない」
「それは日曜の話じゃん。土曜はどうすんだよ」
「金曜にミュージックステーションとタモリ倶楽部があるのはそのためだ」 もういいとも関係ないな。だいたい、誰の仕業なんだよ。設定が甘いよ。
「おい」田中は身を乗り出して、俺の耳元で囁いた。「お前、最近、12時から1時までの記憶あるか?」
「えっ!?……いや、全然覚えてるよ」
「そうか」
 
 話を終えると、田中はコーヒーを飲み干した。見計らったように茂じいが奥から顔を出す。手早く会計を済ませると田中は去った。このあたりはパターン化されている。茂じいは田中が苦手なのだ。

 ふと、壁時計を見ると3時で止まっていて、田中はここから今の与太話を考えたのかな、と思った。ユージュアル・サスペクツかよ。ちょっと買いかぶりかもしれない。時計はただの電池切れだった。

表紙イラスト 凪沙さん #短編小説 #小説

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