エトランジェ_1

エトランジェ 喫茶店にまつわらない短編集

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その9「ソフトクリーム」

「結論から言うとだね、ソフトクリームはアイスクリームより偉いんだよ」

 チョコレートパフェを食べ終えた田中が前置きなく一席ぶち出した。と言っても聴衆は二人しかいない。さらに言えばその二人は店の客じゃない。俺とマイちゃんだ。

「お下げいたします」

 マイちゃんが仰々しくグラスを片付ける。観客が一人減った。

「なんでソフトは偉いのよ」

 仕方なく乗る。接客業に片足を突っ込んでいる自覚はあるのだ。たまにはサービスせねばなるまい。

「希少価値が違うんだよ。いいかい、どこの街にも一軒二軒はコンビニのあるご時世だよ。その気になって欲すれば24時間アイスクリームにありつける、そうだろう?」

「そうだな」

「だけどソフトクリームは違う。どこでも、という訳にはいかない。専用の機械が必要だ。つまり選ばれた者しか作ることを許されない」誰が選んでるんだよ。

「そしてあの何物にも代えがたい滑らかな舌触り。口に入れた瞬間、乳成分がふわっと解けていくあの感覚」

「マルガリ君の方が美味しくないですか?」

 接客業のセオリーを無視して割って入るマイちゃん。珍しく饒舌に語る田中が静止する。一方、俺はマルガリ君はアイスじゃなくて氷菓だよ、と心で呟いた。

「サッパリしてるし。甘すぎないっていうか」

「ソフトクリームだってフレーバーによってはサッパリしてるよ」

 結局、好みの問題かよ。大上段に構えたくせにスケールの小さなことだ。

「ソフトクリームって甘過ぎるから苦手」まだ続いている。

「甘い物を食べてるくせに甘くない方が良いって、どういう了見なのかね」

 いつも通り田中の顔は無表情だが、言動から不愉快さが伝わってくる。ソフトクリーム党のプライドが傷ついたのだろうか。情熱の出所が分からない。この辺りで仕切り直さないと面倒なことになりそうだ。

「んで、話を戻すけど、最初に言った結論ってのはウチのパフェを食べての結論か?」

 エトランジェのパフェはアイスクリームに生クリームを絞り、フルーツを添えた上にソースをかけるオーソドックスなものだ。真ん中のアイスとソースの味を変えて三種類出している。抹茶とチョコとバニラ。

「パフェ自体に不満はないよ」

「じゃあ要するになんだよ」

 田中は答えずレジに向かって歩き出す。マイちゃんが伝票を掴んで後を追う。チーン。俺はパフェグラスを爪で弾いて音を響かせる。ソフトクリームが食べたい、と言い残し田中は帰った。

 マイちゃんのマルガリ君理論じゃないけれど、暑くなると甘いケーキの売り上げは下がるものだ。その恩恵を受けてバックヤードで暇を持て余している。「部屋からの脱出」なるアプリで遊んでいるが、俺自身は脱出できそうにもない。

「溥、コーヒーゼリー2つ」

 表から茂じいの声。夏はケーキを作らなくて良い反面、パフェやゼリーを飾らなければならない。痛し痒しだ。ひとまず脱出を諦める踏ん切りを付け手洗い消毒を済ます。グラスを用意したら、キューブ状に切ったゼリーを入れる。グラスで固めると場所を取るのでこうした方が楽だ。生クリームにミントを乗せて完成。

「あいよ」

 寿司屋みたいだな、と思う。バックヤードを出ると茂じいが目で合図している。お前が持っていけ。あいよ。また言ってしまった。

「お待たせしました」

「よう、ヒロシ君」

「愛甲さん。お久しぶりです」

 愛甲さんには以前、オーブンを設置してもらった縁がある。近所で厨房機器の代理店をやっているそうだ。便利屋だよ、とは本人の弁。

「そちらは?」

 見慣れない青年が同席していた。にこにこ笑ってこちらを見ている。

「あれ? 初対面か。倅だよ。サトル、挨拶」

「お世話になっております。倅です」いえいえ、こちらこそ。サトルは人懐こい笑みをたたえて名刺を差し出した。申し訳ないが喫茶店の店番に名刺はない。

「まぁ、可愛がってやってよ。ところでヒロシ君、ソフトクリームフリーザー興味あるらしいね」

「ええっ!?」

 思わぬ所から矢が飛んできたので、素っ頓狂な声が出た。もちろんフリーザーなど欲しくない。

「あれ、違うの? 営業しちゃおうかと思ったんだけど」

 愛甲さんが冗談っぽく言うので、救われた気持ちになる。

「誰がそんなことを?」十中八九分かっているが訊かずにいられない。

「ほんのさっきですけれど、田中さんとそこでお話しまして。ご存じですよね、田中さん。溥さんがこちらでソフトクリームを出したがっていると聞いたもので」

「はっはっはっ。涼みに来たらイイ話が転がりこんだと思ったんだがなぁ」

 すみません、と謝り倒してバックヤードに逃げ込んだ。この後、脱出しそこねた俺は、田中に吹き込まれた恵未叔母さんにくどくど小言を言われた。そんな余裕はないとか、オーブン代もまだ稼いでないとか非常にありがたい話だ。 

 ぐったりして部屋に帰る。いろいろ言いたいこともあるけれど、今日のところは接客業の難しさを学ばせてもらった、ということにして欲しい。

表紙イラスト 凪沙さん

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