アドベンチャー

 トンネルを抜けると雪国だったのだ。季節は夏なのに。どうやらおかしなことになっている。雪国とは言ったが白銀の世界ではない。2センチほど積もった雪が無数のタイヤにかき乱され、白さを失い灰色に映って見えた。どこまでも広がる田園を二つに分かつように途切れることなく一本道が伸びている。視界の先に建物や山は見あたらない。フラットな地平線。空は厚い雲に覆われている。
 ゆっくりと歩を進めると、溶けかけた雪が靴の中に浸食してくる。冷たくはない。思えば暑くも寒くもない。空気は少し湿っているかもしれない。とりあえず道をたどる。

 頭頂がひやりとして雨に気付く。紫色の雨だ。地面がどんどん変色していく。白地のTシャツがまだらに染まっていった。
「パープルレインですね」
背後から傘を差し出される。振り向くと見覚えのある外国人が立っていた。プリンスだ。
「プリンスですか?」
「いえ、元プリンスです」
「The Artist Formerly Known As Princeですか?」
「はい」
 傘を受け取るとプリンスは去った。ぼんやりと背中を眺めていると、雨はやんでいた。必要なくなった傘を傍らに捨て、再び歩き始める。
 
 それから2時間ほど経った。未だ道の果ては見えない。コピー&ペーストされたような景色が続く。依然として空は隙間なく雲に覆われている。疲れはないが、だんだん飽きて足取りが重くなってきた。うつむき加減でいると、田んぼに大穴が空いている。近づくと、梯子の存在に気付いた。とりあえず降りてみる。
「いらっしゃいませ」
 老紳士に迎えられる。見覚えのある外国人だ。
「あなたは?」
「これはこれは。申し遅れました。シドニィ・シェルダンです」
「ああ、そうですか。俺、あなたの本読んだことないですよ」
「お気になさらずに」
「ここは?」
「イングリッシュ・アドベンチャーです。分かりやすく言い換えるとワープゾーンですかね」
 穴の底はトンネルになっていた。奥の方は闇に包まれていてよく分からない。
「じゃあ、ワープします」
 シドニィ・シェルダンに一礼して、脇を通り抜ける。
「お待ちください。セーブはなさらないのですか?」
「セーブですか。じゃあ、します」
「では、傘をいただきましょうか」
 シドニィ・シェルダンは微笑みを絶やさず俺の二の句を待っている。だが、傘は捨てた。
「セーブするのに傘が必要なのですか」
「この世界では傘が通貨ですから」
「ゲームみたいなことを言いますね」
「ゲームの達人なもので」

 温い空気を纏いながらトンネルの先を目指す。視界は薄ぼんやりとしており、壁伝いに手を当てながらすり足で進むしかなかった。しばらくすると静寂の底に異音が混じり始め、次第に震動を伴って響きが近づいてきた。
「走ってください!」
 トンネルの奥から声がしたので、走り出す。妙に足取りが軽い。
「このトンネルは排水管なのです!」
 とすると、背後から迫っているのは水なのか。
「もう少しです。今明かりを付けますので!」
 言葉と同時に天井に埋め込まれたLED照明が点灯する。トンネルは緩やかな弧を描いており、その先に強い光源を感じられた。ゴールは近そうだ。一方で、背後からの急流も尋常ならざる勢いで追ってくる。
「扉にはパスワードがかかっています! 今から伝えますのでメモしてください!」
 メモ用紙などない。というより、もう扉に着いてしまった。
「早くしてくれ」
「あ、もう着いたのですか。ではこちらから解錠します!」
「最初からそうしてくれないか」
 大銀行の金庫室のような丸い扉の内側で歯車の回る音がしている。薄く扉が開く。
「さあ、こちらに!」
 体を滑り込ませると、勢い転がり込んでしまった。すぐさま施錠がなされ、その直後に衝撃が走る。
「間一髪でしたね」
「君は?」
「ASIMOです」
「ただのおじさんにしか見えないけど」
「2038年バージョンですから」
「ここは?」
「新世界です」
 振り返ると、そこにはトンネルの中とは思えないほどの巨大な空間が広がっていた。人工的な植物のオブジェと、街灯、ベンチが等間隔に置かれており、中央には天辺が目視できないほど高いビルディングがそびえている。建物に窓はなく、蛍光の緑の壁は自ずから発光し周囲はほのかに明るい。
「これをどうぞ」
 ASIMOからリストバンド型端末を渡される。手首にはめるとピッピッと鳴り出し、液晶に映る数字が減りだした。
「おい、なんだこれは」
 問おうと頭を振り上げたところ、ASIMOは消えていた。とりあえず俺は建物の入口に向かい歩き始めた。

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※以下、よもやま話※

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