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現役医学生「医師はオワコン」

憧れの医師のリアル

現役医学生のmonです!
今回は、初投稿なのでなぜ医学生の自分がnoteやブログを始めたか書きます。

私は、医師の父の影響が大きく医師に憧れて、医学部医学科にストレートで入学しました。
入学後、先輩医師を見ていると
「月収は一般サラリーマン並みだ」、「二週間ぶりに家に帰った」、「気が付いたら子供が大きくなっていた」「つらい」などネガティブな話題が多く耳に入ってきます。医師になってよかったという声は勤務医の先輩からは聞いたことがありません。

ネガティブな気持ちの医師に診てもらいたい患者などいませんよね。
しかし先輩医師の誰もが「患者を助けることこそ最大の喜び」と言います。
では、なぜ彼ら医師は”喜び”を口に出せないほど疲弊してしまったのでしょう。
それは、医局という群れに囚われているからでした。

群れから外れた医師は死ぬ


医師は医局から外れては医師としてのキャリア形成は難しいです。
医局というのは人事や一定の決定権をもつトップダウン型の医学教育システムのことで、各診療科に1つずつあります。
おおまかに言うと、医局トップの先生に○○の診療所に1年行け、と言われ逆らうとその医局では生きていけない、ということです。また、××医局で△年間研修を積まなければ専門医をとれない、なんてこともあります。専門医そのものに対した意味はないという見方もあり、医師は自分に専門医という箔をつければ医局で優位になります。だから、若手医師は滅私奉公し医局に身をささげるのです。

また、米国では医師が○○病院から□□病院に移れば、患者も同じ医師に診てもらうため一緒に病院を移ります。しかし、日本では△△病院の医師として診療するので、病院(医局)に属さなければそもそも診察できません。
医局の肩書を持たない医師は、医局の医師から仲間外れにされることもあるそうです。
こうして、医師は医局という群れに自らを縛り付けます。群れから外れた医師は社会的に死ぬのです。どこかブラック企業の悪質人事にも似ています。

患者を救う喜びは綺麗事か

先に断っておくと、自分にとって今でも医師は憧れの存在です。
患者を助けることこそ最大の喜び、と心の底から思える医師になりたいです。そんな綺麗事など、言われてしまうかもしれませんが自分は綺麗事を言って正直に生きていきたいです。
医局という制度を変えるのは無理ですから、医局に属していても精神的に医局から独立している必要があります。
つまり、医局の命令が理不尽だと感じるならば断わるという選択ができるよな状態である必要があります。
そのためには、医局以外に生活のアテが必要になってきます。
そこで自分は医療とは関係のない自分だけのビジネスを持とうと考えました。
まずはブログやノートで自分の考え方を発信しつつ、自分をアップデートし知識を蓄えスキルを磨くことにしました。
自分の理想とする綺麗な医師像には、意外にも他分野のスキルこそ大切だと分かりました。

まとめ

・現役医学生は、このままだと医師はオワコンと考えている。
・その理由は医師を縛る医局制度にあるのではないか。
・患者を助ける喜びを得るためには医局から精神的独立が必要
・そのためには自分のビジネスをもつ。

副業が社会に広まっているのも、それぞれの経済的、精神的自由のためだと強く感じました。安泰と考えれられている医師も、実は自由ではありませんでした。どんな時でも綺麗事が言える人間でありたいものです。

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