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『スカイウォーカーの夜明け』を未だにdisってる記事がサジェストされたので初めてnoteを書く

『スカイウォーカーの夜明け』はどうやら多くの古参SWファンを失望させたらしい。そしてその存在が“世界的SW離れ”を加速させている。

古参が「まず初代を観ろ!話はそれからだ!」などと言うが、新参者にとって初代は正直映像が古くとっつきづらい。作品数も多すぎる。それでも興味を持ってシリーズ全作追っかけてくれた新規ファンに対して

「最新作、駄作だったねwやっぱり初代は越えられないか〜www」

キモい。

ガンダム・FF・ウルトラマン・ゴジラ…かつて我が国でもあらゆる作品群について散々見受けられたが、これらのファンはいい加減良い歳になって、今更クソキモアンチムーヴなんてしなくなったように見える。(富野原理主義UCアンチとは縁を切りましょう)

「『シン・ゴジラ』面白かった!?んじゃ今から一緒に『パシフィック・リム』観よ!!」

何故これがSWファンにできない。

嗚呼、青春のEpisode N

人類は大きく分けて3種類だ。

①オリジナル人類…思春期に旧3部作(Ep4〜6)を観た人類(現在アラフィフ多数)

②プリクエル人類…思春期に新3部作(Ep1〜3)を観た人類(現在アラサー多数)

③SWのファンちょっと怖くね?人類…思春期にStarWarsの新作出なかった世代

人類は初めて劇場で観たEpisodeを親と思い込む習性があるのだ。 (僕の親はEpisodeⅡ!今でも自動ドアの前でオビ=ワンの真似をする。)

①オリジナル人類の習性について

StarWarsの誕生という人類史における大衆文化のブレイクスルー、第二のルネサンス、その瞬間を迎えることができた①人類はその世界的熱狂を忘れられない。

それ故に新3部作がStarWarsを名乗ることが許せなかった。青春と友情の冒険活劇をイケメンと美女のニャンニャン映画に蔑めたEpisodeⅡは特に許せなかった。(キャリー・フィッシャーに謝れ)

さらに月日は流れ、新3部作の存在を受け入れられるようになった頃、続3部作が公開された。成熟した彼らは概ね2つの流派に分かれた。

・新3部作からStarWarsを取り戻してくれてありがとう!!(旧3部作が1番だけど)

・(新3部作が許されるなら)まあ、いいんじゃないの(旧3部作が一番だけど)

②プリクエル人類の習性とは

我々は鬼子だ。生まれた時にオリジナル人類に親を殺された。しかも我らの経典の源流はあちらにあるのだ。歯向かう術はない。ただひっそりと地下シェルターの中で暮らすほかない。

月日は経ち、我々は成人し、進学し、社会に出た。そして同胞の存在に気付いた。自動ドアの前でオビ=ワンの真似をする人類が自分以外にいたなんて!我らはキ=アディ=ムンディの頭部を肴に酒を飲み、ジェダイ・スターファイターはどっちがカッコいいかについて朝まで喧嘩した。

続3部作。銀幕でStarWarsの新作が観られるとは思う由もなかった彼らにとってまさに天啓。そして、オリジナル人類への復讐としてまたとないチャンスだった。自分たちが大手を振って楽しめるStarWarsが来るかもしれない。まさにジェダイの帰還である。

しかし、プリクエル人類はまたも殺されたのだ。Episode7で提示された温故知新の新たなる物語に高揚したのも束の間、ストーリーと整合性が破綻したEpisode8とEpisode9は、新3部作の設定も暗に否定しており、時代からも切り離され愛する作品も失った一部のプリクエル人類はダークサイドに堕ちた。「公開からどれだけ月日が経ってもEp9をdisり続けよ」という教えを抱いて…

(言い訳がましいですが、僕は続3部作大好きです。Episode9も傑作だと思っています。)

③SWのファンちょっと怖くね?人類

そんな①と②を見てきたその他大勢にとって、StarWarsという宗教はまさに触らぬ神に祟りなしである。

青春を共に過ごしたStarWars

自分が最も多感な時期に触れた作品はその後の人生を左右する。世間にとって名作だろうが駄作だろうが、自分自身の人生にとってかけがえのない存在なのだ。

歳とってから観るStarWarsがあんま面白くなかった

そのかけがえのない存在を超える名作など絶対に存在し得ない。思春期を終えた者の感性などたかが知れてるからだ。

錆びゆく己のアンテナを他者のレビューとアルコールの興奮でしか補えない者に名作は訪れない。

最新作で感動できなかった原因を己の感受性の欠如と認識できず、SNSでdisって暴言と共感の興奮作用である種の感動を得ている寂しい人間なのだ。

歳を取ったなりの楽しみ方

自分のにとっての最高傑作を定めながらも、それ以外のシリーズ作にも触れ、好きになったり嫌いになったり感想を言ったり…

シリーズ系作品のファンなら(アンチをする時期があったとしても)やがて成熟しこの様なあり方になるはず。

「私はハートキャッチプリキュアが大好き!でも最新作も毎朝追っかけてるよ!楽しいよね!」

何故これができないのか。StarWarsは供給頻度に“むら”がありすぎたのだ。

20年に1度、3作品が連続公開するという極大的最大風速を思春期に浴びるも、その後の供給がないためにアンチをするチャンスもなければ成熟するチャンスもなかったのだ。

他作品を通して成熟できたStarWarsファンもいたかもしれないが、多くのStarWars信奉者は成熟するチャンスがなかった。オリジナル人類は新3部作(へのアンチ行為)を通して成熟できたかもしれない。だがプリクエル人類は…

最後に

しかしながら、もし皆さんの周りにまだ『スカイウォーカーの夜明け』をdisっているプリクエル友人がいたとしたらそっと見守ってあげて欲しい。彼はかつて親を殺された悲しみと愛情への渇望に困惑しているだけなのだから……


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