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通勤ラッシュ

 今春、就職に伴い池袋駅周辺に引っ越してきた。家賃が高い都市圏内を選んだ理由は、どうしても徒歩で勤務地まで通いたかったからだ。安い新入社員給料で毎月の家賃を払っていくことは厳しいが、歯を食いしばりながら池袋にしがみついていこうと思う。東京に引っ越してきて、まず感じたのはとにかく人が多いということだ。日本の首都なので当たり前のことなのだが、24歳までド田舎で暮らしていた人間にとっては新鮮に感じた。どこを向いても人間がいる空間に緊張してしまう。そして、通勤ラッシュなどは、まさにその典型的な事柄だ。

 しかし先週、通勤ラッシュを体験するために午前8時の池袋駅に突入した。”体験してみたい”なんてふざけた理由で行くのは迷惑かと思ったが、とにかくテレビや小説でみる東京の日常景色に入り込んだみたくなったのだ。満員電車が到着した駅のプラットフォームでは、大勢の人間がせわしなく交互に足を踏み出しながら電車に入っていった。人間の群れが鉄の箱に整理されていく。その景色を見て、この場にいる全員が目的を持って生きていそうだと思った。もちろん一人一人に聞いて回ったわけじゃないから、彼ら彼女らが迷いのない人生を歩んでいるなんてわからない。けれども少なくとも私にはそう見えた。体験してみたいなどと迷惑な理由で、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩く人間など一人もいない。AIかなにかが、その場にいる人間のすべてを支配しているようだった。しかし、その一人一人が確実に意思を持った行動をしている。傘を持っている人、駅構内の自販機でミネラルウォーターを買っている人、左手に携帯を握りしめている人、だれもかれもが確固たる意識を携えて歩を進めている。不思議な光景だと感じた。全く別の人生感を持った生命体であるはずなのに、巨大な意思で統率された行動をとる。その中で私は完全に異物だった。プラットフォームに充満している非言語の共通意思が自分にだけ聞こえない。果たして、自分も目線に入るすべての人間のようになれるのだろうか。都会に染まれるだろうか。都会人が出す足音の一つ一つが、「自分はここで生きる」と主張しているように感じる。地下に張り巡らされた巣の中で、確実に人生が蠢いていた。

 考えを巡らせていると、下腹部に違和感を感じることに気が付いた。

「そういえば今朝ウンコを出してないな。寒い日は大抵、お腹を壊すはずなのに今朝は大丈夫だったな。」

打って変わってくだらない思慮を進めていると、ゴロゴロと稲妻が私の下腹部を貫いた。便意という青い稲妻である。

「ヤバイ!! う〇こが漏れる」

急に逃れられない便意が襲ってきた。今すぐにでも肛門にスタンバっている爆発物を処理しないと暴発してしまうそうだった。その瞬間、私は広大な迷宮の中で、引き絞られた弓から放つ矢のようにスタートを切った。人混みや広告がこれまでにないスピードで後方へ流れていく。しかし、シロアリの巣のごとく張り巡らされた建造物の中をいくら歩いてもトイレに巡り会わない。この苦痛から解放される唯一の場所はなかなか見つからなかった。こんなにもトイレを求めているのに出会うことができない。先程まで、「確固たる目的地を持って池袋駅を歩ける日が来るのだろうか?」などと心配していた数分前が懐かしい。こんな形で夢が達成されるとは思っても見なかった。池袋駅のど真ん中でウンコなんて絶対に漏らしてはいけない。比喩でもなんでもなく現実に人生が終了してしまう。

もし、Twitterで「今朝、池袋駅でウンコ漏らしてたやついた(笑)」などとつぶやかれたらお終いだ。「なんて締まりが悪い肛門なんだ」と自己嫌悪を感じながら新居を事故物件にするか、ツイ主をあの手この手を使って特定し「あのツイートを今すぐ消せ、さもなくばお前を〇ス」と脅したあと自殺するしかない。

便器を求め一里ほど移動したとき、救いの神が舞い降りた。雑踏の向こう側に見慣れた男性用マークが見つかったのだ。私はやっと巡り会えた池袋駅のトイレで、粛々と下腹部の爆発物を処理した。昨日食べたカツ丼のすべてが出ていき、身体中が排泄物の放出を喜んだ。

一通り大便を済ませたあと、精神的にそして物理的に軽くなった身体を携え、再び雑踏に向き直った。右手に新聞を持っている人、下を向いて歩いている人、細かい人の動きまで良く見えた。まるで別世界に飛んで行ったみたいだ。



そして、「迷った、、、」と呟いた。

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