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帰り道の憂鬱

年を取ると嫌なことが増えるという人がいるが、自分は嫌な事はほとんどない。 ほとんどないけど一つだけ嫌なこと面白くない事がある。 親や親族や昔世話になった人が亡くなる事。 父が亡くなって49日だったか、悲しい気持ちにも慣れたような薄れたような少しは大丈夫になって来た時、人生が5%面白くなくなった、何があっても5%位マイナスだな、5%減だ思った記憶がある。 昔世話になった方が亡くなって、5%じゃなく3%は面白くなくなったと思った。 こうやって3%や5%ずつ面白く亡くなっていく

    • 人のことは分かるけど

      人が何をやりそうかは分かるが、自分が結果的に何をやることになるかは分からない。 きっとそれは、人にとっては、きっと私がやりそうな事なのかもしれない。 人は自分が思っているような自分とは違う行動をとっていて、でもその行動だけがその人を表している。 この人はこんな人だと言うのは、その人がした行動が表現している。 その人が考えている事がその人なのか行動がその人なのか。 口で色々言っていても、結局、やってる事の方がその人だと判断されるんじゃなかろうかと。 人のことは分かる気がする

      • 常識に従うと。

        70歳と言えばお爺さんだ。 ”普通”そう思うものだろう。 70歳と言えばもうすぐ後期高齢者になるような年齢だ。 あたりまえ。 でも、この当たり前はいつ出来た当たり前なのか。 自分が社会人になる1980年あたりの男性の平均寿命は73歳くらい。 それなら70歳は立派なお爺さんだ。 でも、2019年の男性の平均寿命は81歳、約10年くらい伸びている。 寿命73歳の時の70歳と、寿命81歳の時の70歳では、ずいぶん違うような気がする。 人生100年時代なんて嘘に違いないが、それぞれの

        • 体のない時代

          体のない人が増えている。 頭でばかり考えて体のことは脇に置いて来てしまう。 分からない事があれば、ネットで調べる。 考えるという事がなく、先ず情報をかき集める。 集めた情報で分かったつもりになる。 実際には情報を手にしただけで、理解している訳ではなく自分の”身”にもなっていない。 情報という顔料を顔に塗って、自分がそういう顔になったような気分になっているだけのような気がする。 着ぐるみを着たとて、着ぐるみ自身になった訳ではなく、自分の外に自分ではない何かをくっつけただけ。

        帰り道の憂鬱

          この世

          こんな書き方をすると叱られるかもしれないが、宗教やスピリチュアルと共に生きてる人は幸せだろうと思う。 お幸せですねと言うような揶揄する意味ではなく、本当に幸せな事だと思う。 宗教やスピリチュアルなことは私自身に対しては説明がつかない状態で、いや、あるいは宗教やスピリチュアルではない別の言葉で私自身に対して説明してしまう状態で、だから自分はそれらと共に生きて行くということが出来ないでいる。 生きていると言うことは物理現象で、この世を認識したり物事を考えたりしているのは錯覚の

          耳順

          60にして耳順(みみしたが)うと論語にあると聞きました。 耳に順う。 耳に入って来た言葉に素直に従うようになるというような意味かと思う。 が、少し違うように解釈している。 60にもなれば自分の人生、だいたいこんなもんだと分かったと思うようになる。 分かったかどうかは分からないが、分かったような気になる。 人生は暇つぶしだと思うかもしれない、人生の意義はこれだと思うかもしれない、自分の人生は楽しかったと思うかもしれない、つまらなかったと思うかもしれない、もっと何かや

          存在について

          存在は自明。 と聞いたことがある。 自明でなければ証明が必要となるが、存在は「存在」すると言ってしまうと、後者の「存在」の存在を証明しなければならず、これが延々と繋がってしまう。 哲学用語で何というのか知らないが、これだと堂々巡りというか終わりがない。 ということで、存在は自明。 これが何だかもの凄いことだと思う。 存在する。 在る。 今ここがあり、自分がおり、空間があり、モノがある。 自分がいなくなったとしても、たぶん今ここはあり空間もモノもあるんだろうと

          存在について

          生れてきてくれてありがとう。

          生まれきてくれてありがとう。 そう言われて人はどう思うんでしょう。 昭和の昔は、あんたを産んでおいてよかった、と言ったものでした。 親の責任はどこに行った、と思うのは変な人なんだろうか。

          生れてきてくれてありがとう。

          自分で考えるのは意外に難しい。

          自分で考えるのは実は意外に難しい。 いや、考えているのは自分なんだから、自分で考えることは自分で考えている事だ。 確かにそうです。 ここで言いたいのは、元々自分の体の中にあった考えをベースにして、そこから考えを発展させて考えるのは意外に難しいという話です。 例えば、キングヌーの楽曲が好きだとします。 キングヌーの楽曲が好きなのは本当でしょう。 でも、キングヌーの楽曲が好きだと思ったのは、自分が聞いた楽曲の中から好きな楽曲だと思ったということでしょう。 聞いていない楽曲につ

          自分で考えるのは意外に難しい。

          物語が必要だ

          「物語が必要だ」という言葉を聞いたのは、もうずいぶん前です。 村上春樹さんが言っていたように記憶していますが、定かではありません。 初めて聞いた時は何と言うこともない言葉でしたが、暫くしていろいろな意味を考え始めました。 人は死にます。 必ず死ぬ。 好むと好まるとにかかわらず死んでしまいます。 死後はどうなるのか分かりません。 分かっているという人もいますが、私には分からない。 その分かっているという人の、分かっているという所が物語ではないのかと思い始めていま

          物語が必要だ