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子どもの発表会とかで感じる「銀の斧と金の斧」の世界観

「あそこの幼稚園では、鍵盤ハーモニカがうまく吹けないと、全体の邪魔をするって理由でその子のだけ音が出ない小細工されちゃうらしい…」というような、実しやかな噂が広まったことがあった。

この手の話は、はじめての子の幼稚園探しなどの前には、誰がどこから聞いてくるのさ?ってくらいに頻繁に話題になったりする。だから?なのか、だけど?なのかわからんけど、信憑性はあまりない。

この噂みたいなのは、真偽が問題なのではなくて、こうした話をする中で、その幼稚園について自分の価値観と照らし合わせて評価したんだろうね。

この噂なんかは、不協和音を奏でる子どもの音をどう扱うのか…というところから、園の子どもに対する姿勢みたいものを読みとろうしたのかも、と今振り返るとそう感じる。

この幼稚園は、鍵盤ハーモニカの合奏が素晴らしいことで有名で、それを気に入った保護者が集まっていた。

各自の子育て感のことだから、この理念には不可もなくて、好き嫌いがあるだけで、これは問題ナッシングなのだけど。
だけど、この園の中に、練習しても全体のクオリティーを下げてしまうような演奏をする子どもがいたら、どんな対応をされるのかが気になる。

噂通りの対応なのか、逆に実際には、できるできないは問題視されることはないのか?とか、実は苦手だった子を伸ばすことが上手い園で人気だった…とか、今考えてるといろんなパターンを思いつくけど、わたしが肌で感じたのは噂に近いイメージだったのよねぇ。
勝手に思い込んでるなんて、失礼なのにね!

しかし、だ。
噂通りの園ならば、うまく出来なかったら悲惨なことになりそうだ…とか勝手に思っちゃうわけ。
うちの子達なんかが入ってたら、出来なくて直ぐに挫折しそうだし、あっという間に登園拒否になったろう。ってか、そもそも入れないな(笑)

一番心配なのは、
この園を選択したのが本人の希望でなくて、なおかつ、器用にこなせない子であった場合、親の期待に添えてないことも加わったりしたら……、とか想像すらしたくないことが浮かんできたりする。

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幼児サークルに幼稚園の教員をやっていたママ友がいた。

彼女のいた幼稚園は、早期教育が優れていると評判の、身なりのきちっとした園児を輩出することで有名な園だったらしい。

その園では、授業参観の前の日に、担任の先生は、自分のクラスの子どもたちの工作に手を加えるのが当たり前に行われているいたのだかとか。
少しでも見栄えがよくなるように、手を加えすぎない補正を食わえて、見栄えの良さをあげていくことが慣例だったのだとか。

わたしが話をきいた彼女は、「わたしは、それしたくなくて、こどもが作ったまんまを展示してたの。
だからさ、センセのクラスだけ、工作がボコボコなんですね…」的なコメントを保護者からたくさん、もらったらしい。
こういたコメントは、誰がどんな風にいったのか…でいろんな意味合いでとれるけど、なんか現代社会の一つの側面を象徴してるなぁ、と思ったんだよなぁ。

上の鍵盤ハーモニカにしても、工作の話にしても、出来るか出来ないのか、だけじゃなくて、それは上手なのか下手なのかという優劣まで入ってんだよね。これさ、幼稚園の時点で教育として教えてほしくないよな〜って、わたしは思う。

わたしが思う…だから正解じゃないし、反対意見があって然るべきなんだけどさ、こんなに小さい時期に、チャレンジする勇気や楽しみを何度も何度も味わうより先に、正否、優劣、可・不可で、人を分けていくことを覚えてしまったら、ほとんどの子は、好奇心を満たす挑戦は危ない。それよりも「間違えないこと」が正しいって学習するだろうね。

間違えると怒られるけど、間違えないと怒られない。だったら黙ってるのが賢い。
という学習もするだろうし。
こうした「間違えたくない」という護りの姿勢も、多くの現代人の主体性を潰してる要因の一つな気がする。

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これを思い出したのは、今日、母から頼まれたことがきっかけでした。

母からのリクエストは、わたしに一筆かいてほしいというものでして。
もともと文字が綺麗に書けない母なのだけど、今日は孫の結婚出産祝いを送るために一言メモを書き添えたい、だけど上手く書けなかったから書いてよ!
という頼まれごとでした。

でもさ、これって、どんなに汚い文字だって、母が書いてくれたものを上回る良文になんぞ、なるわけなんだよ。と、わたしは思うし、隣の部屋にいた息子もそう思ったのですよ。
ひ孫ちゃんの生い立ちアルバムに貼ってもよし、とっておいてもよし!な貴重なひー婆ちゃんからの贈り物なんだから!と。

なのに、我が母は、こんな汚いはみっともなくて送りたくない!と。確かに、人からどうみられるのか…を、長い間、一番大事な価値観にしていた母にしたら、恥ずかしいことなのかもしれないけど、貰い手にしたら違うのになぁ…って思ってしまった。

これをさ、ドラマにありがちな場面で例えると…

御曹司と結婚した花嫁にはすてきな義理の両親がらいて、実母は他にいる。だけど、誰かが実の母親がこっそりように配慮してくれて、その実の母親(貧しくて子どもを手放した)がボロい身なりでこっそりと結婚式を見に行ったら、ばっちり会ってしまって…的な感じのときに、

「よく来てくれた!」っていうのか、「なにあんた来たんのよ!恥ずかしい!」っていうのか、の差みたいなもんかしら。

この後の展開が修羅場と化すのか、幸せなハッピーエンドになるのかは、花嫁や義理の両親とか、旦那さんになる人の対応でいろいろと変わるよね。
あなたが花嫁なら、どんな反応すると思う?

わたしなら…と

今日もまた、一円の足しにもならないのに楽しくてまたまた考えてしまったにゃん。
ウハウハだす。

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