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大きなダムだって、人の頭の中にあったものが具現化されてるってことじゃんか!

大風呂敷を広げるクセがある。
ぐうたらしてるくせに完璧主義のせいか、何かをやろうとすると完成度の高いものや広くて大きなものをイメージしてしまう。そんな思考パターンゆえか、ついつい大掛かりな妄想をしてしまう。

だから、本人はやる気満々なのに、どこから手をつけていいか分からなくて考えてる時間が長くなる。暗礁に乗り上げてるのかしら?的な状態で止まってしまう感じもする。
そんなわたしは側からみたら、大口たたくビックマウスだと思われてるんだろうなぁ…とか、自虐するのもわたしのパターン。

こういう自分の愚かさ?もわたしらしさなのだと、今では諦めているが、子どもを育てていくために、もっと収入をあげたいと願う感覚もあるため、自分のやりたいことをやるのか、社会でうまく立ち回って安定したお給料をもらえる仕事をやり切れるように努めるのか、で、この数年何度も揺れてきた。一般就労にトライしたこたもあった。

しかし。
子どもたちが一般的な子よりも手も金も時間もかかるため、普通に正社員で働くのを断念せざるを得ない状況になってきた。
今思えば、自分が引き寄せた結果なのだろうけど、私がもっと社会に適合していたら、子どもが…うんぬん言わずに、もっと若い時期にどうにかして正社員になって気もする。ここまでのわたしの選択って、多くの部分で、今の社会では賢くないとされる生き方をしてるって思う。

しかも、わたしがさらに賢くないと自分で思ってしまうのは、自分の周りにはないけど自分が欲しい公益性の高いものを作りだそうとして動くことだ。
運良く形に残せたこともあるけれど、やってきたことって普通に考えたら、わたしみたいな無資格のおばさんにできるわけがない…と思って手をつけないのが賢い人の選択だと知っている。

そんなことを考えるているのに、また、またまた、これはわたしがやらないで誰がやるのか?的に妙な意気込みを持ってしまったことがある。

はぁーーーだよ。
でも、これは必要なんだよね…って確信してるし、今までのアレコレはここに向かう準備だったような妙な確信すらある。

とはいえ、まだまだ頭の中でもやん…としてるレベルなのが、今日、この話を人にしたことで明確になった。他者に聞いてもらう度に、企画の甘さを痛感する。

だか。
私の頭の中を言葉にすればするほど、声にするほどに、現実に近づいてる。
自分の思いを言葉にすることが必要なのは、思考が現実になってる…と信じてる人にとっては当たり前の感覚だからね。

なのにね。
頭の中に常に広がってるイメージの泉は、個人的な利益にはたいしてならない。
わたしが受け取るわかりやすい利益だけでみたら、お金払って外注しちゃう方が100倍楽だと思われる。そのせいで「そんなん何の得になるの? ってかさ、そもそもそれどうやってやんなのさ?バカだねーー」って賢さを求める私が囁く。

でもね、でもね。
わたしの心なのか魂みたいもんが、「今でしょ!」と林先生のようにわたしをせっつくのだ。

だからさ。
バカじゃね?と思われるだろうなーって自分で勝手に思ったりするし、実際にそういう見方する人もたくさんいるけど、そんな人たちは「だからなに?」ってさらりとかわして、どんどん自分のイメージを声にしていくことにした。

わたしは「経験から楽しく学ぶ場」が作りたくて、学びを支える土台となる読み書き計算など、できるところから恥ずかしがらずにやり直せる場も一緒にあることが大事だと思ってる。
考える力を支える知識を詰め込むことも必要だけど、考える力を育む土台を作るほうがもっともっと大事だと考えてる。

今の学校システムに合わなかったり、学びの提供のされ方に適応しないだけで、ダメな子と思い込んでしまってる子どもたちは、条件があえば可能性がどーーんと開花していくと確信してる。

こんな子達のために、こういうことを教えたい、つたえたい、ここを伸ばしたい…等々、抽象的なイメージばっかりで、じゃ、具体的にどうしたらいいの?がほぼない。
今は見えてない。

だけど、
でも、
これは形になる、という根拠ない自信がなぜかある。
ただの妄想なのかもしれないし、世間知らずのただのアホウなのかもしれないが、何とかなっていきそうな気もする🤣

どんなに大きなダムだって、誰かの頭の中のイメージから作り始めるじやんね!
をお守りにしつつ、妄想を形にするためにトライアンドエラーする日々がはじまってしまったよ。

なんで、もっと楽な生き方しないかねぇ…。
と、ぼやいてみるが、
やっぱりどっかでワクワクしてる。

わたしのでっかすぎる志に共鳴してくれるスーパーに協力なサポーターと繋がりますように。
かもーーーーんぬ❤️

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