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2021.10.18

日蓮さん、伊東に行くことを楽しみにしてたなあ。今日も泣いた。元氣にもなった!
(この日、伊東に立ち寄る日だったのです。)

【時間】
11分

【音】
ミ→♯ファ

【学んだこと】

○1人の存在としてみればちっぽけだけど、ちっぽけではない。何故ならたくさんのご縁とつながって生きているから。

○1人で何とかしようとしなくても大丈夫。
焦らなくても大丈夫。身体を緩める事、リラックスすること。

○私を真ん中に蜘蛛の巣状に沢山のご縁があった。常に繋がっていることを認識すると、沢山の愛を受け取ることができる。
氣づくこと、受け入れること、委ねること。

【見えたこと】



前回の映像で見た海が見えた。
その海を正面に眺めている日蓮さん。

生きていることが、生かされていることが不思議で尊い氣持ちで見ていた。

『また見ることができて嬉しい。』

海を見て笑顔でそう言っていた。


当時、伊豆法難で海にいるとき、自分は常に孤独感を感じていたけど、孤独になって初めてたくさんの存在との繋がりに氣づいて愛を感じる日蓮さんがいた。


シーンは変わり、意識の中の世界で、私は日蓮さんから数珠を受け取った。世界に智慧を伝えて欲しいって言ってくれた。

すんなり受け取ってしまったものの、ドキドキした。

頑張ろうという氣持ちになった瞬間に、肩の力を抜くように促してくれた。焦らなくても道は準備するから大丈夫と言ってくれた。

日蓮さんだけでなく、何人か色んな方が励まして身体をさすってくれたり、頭を撫でてくれて泣いた。(ここで♯ファ)


私は全然1人ではないんだなあと思うと、ありがたい氣持ちが出てくる。1人じゃないことが心強かった。それは、きっと私だけじゃなくてみんなこうして見守ってもらってるんだなあと思った。氣づくことと、受け入れるだけなんだなあって。


南無妙法蓮華経が全てに委ねるという意味があることをここで思い出し、深呼吸して、身を預ける感覚になる。

私の身体を使ってくださいと思わず祈っていた。

今日また海を見たい時に日蓮さんに使ってもらうことはもちろんだけど、きっとこの世界でやりたいことがあるだろうから、意思のある人に使ってくださいと祈った。

過去にも肉体を使ってくださいと祈ったことがあるけど、その時はどちらかというと人任せな感覚だったと氣づく。

使ってくださいと一緒に頑張ろうと
両方の氣持ちが出てきた上での使ってくださいという感覚になった。

流れに委ねる感覚は、すごく心地よくて氣持ちよくて、温かい感覚だった。

例えて言うなら温泉ひとりで仰向けで寝て空を見てるんだけど、みんなでそうやってプカプカ浮かんでる感覚。

1人だけど1人じゃない感覚。 


ちょっとお化粧をしていたので
涙がこれ以上でないようにと意識がいって、唱えながら初めて目を開ける。

するとお題目を終わらせた後に、
一緒に頑張ろうね、ありがとね、大好きだよ

と声をかける氣持ちと

自分自身が愛おしくなった。

いつも頑張ってるよね、と思って、声をかけて抱きしめて、愛してるよって伝えたあげた。

私が私に愛を素直に注げることが嬉しくてまた泣きそうになった。

※体感は個人の感想です♡
※こんなことがあるのか〜!っていう
フィクションの読み物として
お楽しみくださいませ♡

つづく

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