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琉球王朝時代の保養所「識名園」で過ごすのんびり時間①

3月の晴れの日。半袖になるにはまだまだ肌寒い沖縄。
この日は晴天で、のんびりとお散歩したい気分になりました。

忙しい日常から少し距離を取りたい。
だけど遠出はできないし、あまりお金も使いたくない。

「癒しの島」沖縄に住んでいながら、日常生活は忙しなく、休日に何をすれば癒されるのかが分からない。

そんな時にふと思いついたのが「識名園(しきなえん)」。
沖縄県にある琉球王国の関連遺産である世界遺産の1つです。

識名園:御殿と六角堂

識名園は、琉球王家の別邸で、琉球王朝時代に国王一家の保養や「冊封使」といった外国からの要人を接待するために利用されていました。

広大な敷地内には、「外交の場」としての工夫がたくさん施されているほか、国王一家の保養施設としての「癒し」が巧妙にデザインされています。

今回の記事で紹介するのは
・識名園の基礎情報
・琉球王国時代の趣きを残す識名園の見どころ
・散歩しながら過ごすのんびり時間
・全てが「絵」になる識名園の風景
を写真多めに紹介していきます。

「予定を詰めすぎず、のんびり沖縄散歩を楽しみたい」
「琉球王朝時代の雰囲気を感じたい」

そんな方におすすめの識名園。

気になった方はぜひこの記事を参考にしてみてください!

識名園の基礎情報

識名園の場所

識名園は那覇市にあり、那覇空港からは、車で約20〜30分ほどの距離にあります。

首里城からは車で約10分〜15分ほどの距離にあるので、首里城を見学した流れで足を運んでみるのもおすすめです。

識名園駐車場

隣接した場所に駐車場も完備されているため、車でも行きやすいです。

歴史的背景

識名園は、琉球王国時代に王家の保養所としての役割を担っていた他、外国からの用心接待のために利用されていました。

識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。1799年につくられ、1800年に尚温王冊封(さっぽう)のため訪れた正使(せいし)趙文揩、副使(ふくし)李鼎元(りていげん)を招いています。

那覇市公式ホームページより

琉球王朝時代が終わると、以下のような遍歴を辿ります。
・1945年4月:第2次世界大戦の沖縄戦で破壊される。
・1975~96年:総事業費7億8千万円をかけて復元整備される。
・2000年:ユネスコ世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)として登録される。

入場について

・個人 大人:400円、小人:200円
・団体 大人:320円、小人:160円

4月1日~9月30日 9:00~18:00(入場締め切り 17:30)
10月1日~3月31日 9:00~17:30(入場締め切り 17:00)
※詳細は那覇市ホームページをご参考ください。

おすすめの時間帯

午前のなるべく早めの時間帯が人が少なくおすすめです。
また、シーズン中は暑い日が続くため、朝の涼しい時間帯がおすすめ。

注意点

石畳のゴツゴツした道が続くためスニーカーで行くことがおすすめです。
また、冬場でも蚊がいる時があるので、気になる方は入場前に虫除けスプレーを振っておくと良いでしょう。

琉球王国時代の趣きを残す識名園の見どころ

御殿外観

識名園は、広大な敷地の中に中国式の庭園や国王たちが過ごすための御殿(ウドゥン)などがあります。

建築様式や自然豊かな風景などは、琉球王朝時代の趣を残し、園内を散歩しているだけで当時の雰囲気を味わうことができます。

この章では、琉球王朝時代の趣を残す識名園を見学順路に沿って紹介していきます。

通用門と番屋

通用門

園内で働く人々が出入りしていた門です。
正門に比べると小ぶりですが、立派な屋根付きの門になっています。

通用門の先には番屋があります。

番屋

通用門と国王たちが過ごす御殿の間に位置し、識名園を管理していた番人たちの住居として使われていました。

正門

正門

国王一家と冊封使などが利用する門です。

見た目は通用門に似ており、通用門より少しサイズが大きくなった屋根付きの門です。
首里城の「守礼門」に比べると、随分とシンプルに見えますが、当時の屋根付きの門は、格式のある屋敷にのみ許されたものでした。

石畳の道

通用門から続く石畳の道

園内の多くの順路は石畳の道になっています。
石畳はゴツゴツとしていますが、スニーカーだと歩きやすく、周りの木々とも風景がマッチしていて気持ちよく園内を散策することができます

育徳泉(いくとくせん)

育徳泉(いくとくせん)

国王が使っていた大きな井戸(左)と、家来たちが使っていた小さな井戸(右)があります。
井戸の中には「シマチスジノリ」という藻一種が自生しています。
シマチスジノリは、香りがよく、当時国王も食していたのだとか。

御殿(うどぅん)

御殿(ウドゥン)

国王一家が過ごした屋敷です。

靴を脱いで中を見学することができるので、ぜひ御殿の中も散策してみてください。

御殿は、見た目はシンプルに見えますが、格式のある屋敷ならではの建築様式や、国王たちが優雅に過ごすための工夫がたくさん。

例えば、国王と王妃が過ごす部屋は框(かまち)が二段になっていて、家来たちが過ごす部屋と比べると一段ほど高く作られています。

二段框(かまち)

また、部屋の至る所に、花の形をした「釘隠し」が設置されています。
釘を隠すカバーにも、部屋を優雅にするひと工夫が。

釘隠し

御殿の中には、各部屋の説明や識名園の歴史を紹介したキャプションがあるので、琉球王朝時代の歴史を学ぶことができます。

御殿のおすすめの楽しみ方としては、御殿の中から庭園を眺めることです。
大きな出窓からは四季によって彩りを変える美しい庭園が見えます。

出窓から見える六角堂

軒下の柱が一本抜かれ、庭園をより広い画角で眺めることができるよう工夫されている場所もあります。

柱が一本抜かれた軒下

御殿には中庭もあり、春の晴れた日には縁側で日向ぼっこができそうです。
個人的には中庭がかなりの「癒されポイント」でした。

畳の部屋と板張りの廊下が、歩いているだけでとても心地良い…。
やはり、古い建築の屋敷は心が落ち着きます。

板張りの廊下

御殿を見学した際には、ぜひ自分だけの「癒されポイント」を見つけてみてください。

石橋

大石橋(奥)と小石橋(手前)

池の中にある小さな島に大小2つの石橋が架かっています。
どちらとも橋の中央が高くなったアーチ状の中国風のデザインになっています。

六角堂

六角堂

池に浮かぶ島には、「六角堂」という六角形のあずまやがあります。
沖縄であまり見かけない黒い瓦が使われており、識名園の中でも一層中国的な雰囲気があります。

冊封使が庭園を回遊する際にお茶を飲んだ場所なのだそう。

六角堂と石橋(別の角度から)

六角堂のある島へかかる1つ石(琉球石灰岩)でできた小さなアーチ状の橋が、また味わいのある雰囲気です。

滝口

池から溢れた水が流れる様子

池から溢れた水を外へ逃す滝口と呼ばれる場所があります。

琉球王朝時代には滝口の奥の方には東屋があったそうです。
沖縄戦で焼失してしまい、遺構が見つからないため復元ができなかったそうです。

現在、滝口の周りには柵が建てられて立ち入り禁止になっているため、奥の方は見学することができません。

そのためか、「国王たちは、池から流れてきた水の音を聞きながら東屋で涼んでいたのかなー」と想像が膨らみます。

船揚げ場

船揚げ場

琉球王朝時代には遊覧用の船と掃除用の船が2艘あったそうです。
船揚げ場は、その2艘の船をあげていた場所です。

意外と狭いので、どのような船で冊封使をおもてなししていたのだろう、と気になりました。

勧耕台(かんこうだい)

街が見渡せる勧耕台

勧耕台は、「展望台」のような場所です。
見晴らしがよく街並みを見渡すことができます。

そして、沖縄県では珍しく、こんなにも見晴らしが良い場所なのに海が見えません。

琉球王朝時代は、冊封使をこの勧耕台へ連れてきて「海が見えないほどに琉球は広い島なのですよ」ということをアピールしていたのだとか。

自然豊かな帰路

池の周りを歩いて勧耕台までの順路を過ぎると、識名園巡りもそろそろ終わりが近づきます。

帰路も石畳の道と豊かな自然の中を歩くので、とても気持ちが良いです。

本州にはない植物がたくさん自生しているので、南国の雰囲気たっぷりです。

ユニークな形のデイゴの木

識名園には他にも紹介しきれなかった見どころもたくさんあるので、気になった方はぜひ足を運んでみてください。

続きの記事では、こちらの記事で掲載しきれなかった識名園の美しい風景をたくさん紹介しています。


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