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彼はいつだって1歩先で振り返って

Jr大賞があるからと購入したMyojo、軽い気持ちで康二くんの10,000字インタビューを読んだ。軽い気持ちでこんな時間から読み始めたことを後悔した。明日はきっと目がパンパンだ。

康二くんがなにきんでデビュー可能性があったかもとジャニーさんと話していたこと、ジャニーさんにジャニーズWESTに入れないかと直談判していたこと、自分を含めたユニットの企画書を作成しジャニーさんに提出していたこと。
…こんな話、他のジュニアで聞いたことある?も〜〜本当に行動力と決断力の鬼すぎて脱帽。恐れ入りました。もちろんデビューした今だから聞ける話だけど、やっぱり康二くんのそういうところ大好き。現状をどうにかして打破しようと行動できるところ。聞けてよかった。尊敬するし、応援しててよかったなって思える。応援し甲斐のあるアイドルだよ、本当に。
あと、もう無かったことにされてると思ってたデビューシングルのハイタッチ会!康二くんがやりたいって言ってくれて嬉しい!ヨッ、痒いところに手が届くアイドル!開催できる日が早く来るといいなあ。



さて。私は当時の関ジュを「焼け野原」だなんて思ったことは一度も無かった。一応ツイッターで検索したみたけど、私自身「焼け野原」というワードをツイートしたことも一度もなかった。
「焼け野原」という表現には、ずっとずっと違和感があったし、正直大っ嫌いだった。今現在の康二くんを、なにわ男子を、そして紫耀くんとれんれんを、美談にするためのワードとしかとても思えなかった。


思えば、あの頃は露出もそうそうなかったし、人気も今ほどなかったと思う。チケットもそれなりに取れた。あの頃の関ジュは完全個人戦ならでは、ひとりひとり立ち位置が定まってなくてどこか宙ぶらりんな感じだった気がする。

でも彼らは、少なくとも向井康二くんは、いつも手を抜くことは無かった。ステージにいる彼は、絶対に手を抜かない。いつも指先まで全力で踊ってくれていた。いつかの東西合戦で歌った、「掴み取れNo.1 世界変えるのは俺たちなのさ」という歌詞が大好きだった。私は、世界を変えるのは康二くんだと信じてやまなかった。康二くんは、世界を変えるのは自分だとファンに思わせるくらいに、いつかNo.1になるんだという確信を抱かせるくらいに、いつも誰よりも最高なパフォーマンスをしてくれていた。

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といった感じだったので、先述した通り、その頃を「焼け野原」だったなんて1ミリたりとも思っていなかった。そして今も思っていない。

…えっ。何が「焼け野原」だ?何をもって?ジャニーズWESTが抜けたから?紫耀くんとれんれんが抜けたから?それがなんだ。お前らが何を知ってるんだ。どうせその頃の関ジュのステージを見てないから言えるんだ、「焼け野原」だなんて。自担が全身全霊で歌って踊る姿によくもそんなことが言えるのか。あんなにもステージの康二くんはキラキラしていたのに。 間違いなく楽しいライブを届けてくれていたのに!なんでみんなみんな「焼け野原」って言うの。なんでなんでなんで!

 

「人によっては焼け野原に見えても、あの日の関西Jr.を応援してくれた人には、きらきらした花が咲いて見えていた。そこにはたしかに愛があったんです。」

 

私はこの言葉を読んだ時こそ、康二くんを応援してきたこの6年間が全て報われた瞬間だった。
私は、やっぱりこの人を大好きだったと思った。こんなにもこちらの心を汲んでくれるアイドルが他にいるのだろうか?康二くんは、いつだってファンが想像している以上の言葉をくれる。行動をくれる。

「焼け野原」という言葉を何となく消化し切れぬままここまで来た私に、今こうして康二くんは答え合わせをしてくれた。ずっとモヤモヤしてて、ドロドロの感情を抱いていたのに、康二くんの言葉で、こんなにも簡単にスルスルと解けていくものなのか。

   

 

そうだ、私はあの時たしかに、ステージ上に見事な花畑を見ていた。

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