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少年は全てを飲み込む

(深読みオタクは、色んなコンテンツを勝手に深読みして楽しむ。今回は、「545」という1つの楽曲のために6,000字を超えるありえんボリュームのnoteを作り出してしまった。つまり、長いです。)

現在私は、原因は自分にある。の「545」という楽曲を狂ったように聴いている。なぜかは、わかる人にはわかる。
(ヒント:リスニングキャンペーン)(答えじゃん)


↑原因は自分にある。とは。
(公式が紹介動画作ってくれている)


「545」は、5月27日にリリースされた、原因は自分にある。の配信シングルだ。
3月より彼らは、配信シングルを3曲立て続けて発表していて、それらをまとめて三部作としている。今回の三部作は“爽やかさ”が大きなテーマとして掲げられていて、どの曲も心地よくて耳馴染みが良い。
「545」は、その三部作の最後の曲としてリリースされた。

原因は自分にある。三部作


彼らの代名詞とも言える、世界観強めの楽曲の多くとは少し離れ、とにかく透明感のある3曲だ。
そして、げんじぶの楽曲の特徴のひとつでもあるピアノの音。今まではかなりドラマティックなメロディラインが印象的だったのに対し、今回は割と優しいイメージなのも、聞き手は曲を受け入れやすく透明感に繋がってるのかもしれない。

しかし、そんなピアノの軽やかな印象の曲調とは裏腹に、3曲とも歌詞はずっと儚い。なんとも一筋縄ではいかないのが、げんじぶらしさとして残されている。
詳しくは省くが、その儚さの理由は、三部作のうち先にリリースされた2曲とも(「青、その他」、「結末は次のトラフィックライト」)、結局報われない、結局まだ進まない、停滞する、みたいな内容の歌詞にある。

さて、今回の「545」も、他2曲と同様に停滞している様を表している儚い曲であると思う、が、
「545」を狂ったように聞く日々の中で、「545」に関しては、停滞している中ではあるが、ある意味救われるストーリー、報われるストーリーになっているのではないか?と思ったのだ。

以上、長すぎる前置き。
以下、超個人的「545」解釈。
暇なときにテキトーに読んで欲しい。なぜなら長すぎるから。




モーツァルトのピアノソナタK545。弾いたことがなくても、聞き覚えのある有名な曲だ。(参考↓)

同じ動きを繰り返す16分音符が続き、アレグロの指示がある。
アレグロ(Allegro)とは、「速く」を意味する、楽譜に記載してある速度記号のこと。
「速く」の指示があるし、特にこういう動きが単調な曲はつい速く弾きたくなる、これはピアノ練習あるあるだ。流れるように続く16分音符と曲の速さを意識するあまり、右手は次へ次へと急ぎ指が走ってしまい、左手は疎かになる。そんな弾き方をしているので案の定弾き誤る。その直後、間違えてしまったフレーズだけを繰り返し弾く─これもピアノ練習あるあるだ。

「545」は、そうして始まる。


ピアノソナタを練習しているその背景には、ざわざわとした話し声、そして金管楽器が響いている。吹奏楽部が窓を開けて練習する、季節は初夏。
どうしてもこの曲は、夏服の制服を着た1人の少年の絵が思い浮かぶ。部活動中ならば、時刻は授業を終えた頃だろうか。


またいつも大事なとこで ミスしては絡まって
小さな期待 小さな痛み 繰り返したり(:||)
白い雲が好きだったんだ 風薫る鈴懸通り
遠回りした 毎日に逆らった

バスが停まる
夏の始まりには疾うに気づいてた
役に立たない記憶ばかり増えたけど

彼は、何も変わらない、むしろ失敗ばかりが浮き彫りするような日々を繰り返している。そんな日常から抜け出したくてなんとか抗おうとするけど、結局何も変わらずまた繰り返す毎日。「白い雲」みたいな美しい景色の理想の綺麗事だけでは進んでいかないのが現実だ。

この日も、結局もいつもと同じバスに乗る。ループからの抜け出し方もわからなくて、日々を過ごしていくしかない。そのうちに季節も巡ってしまう。もはや少しの怒りすら感じる。

(ストーリーとは別の話だけど、空人さんの「白い雲が好きだったんだ 風薫る鈴懸通り」で急に爽やかな初夏の空気感になるのが、545全体の爽やかさに繋がってるとおもう。)
(「リピート」という歌詞を「:||」の音楽記号で表現するの、とってもかわいい。)


全部知らない もう知らない
確かめない 未来は
息をのむくらいなら
このままって このままって
歯牙にかけない 空理空論
振りかざしているんだまた
知らないんだ それも全部
歯牙にもかけない:全く問題にしない、相手にしない
空理空論:現実からかけ離れている役に立たない考え

1番サビ。もう投げやりな主人公だ。「全部知らない!もう知らない!」なんてちょ〜〜投げやりだ。

10代後半、「未来」や「将来」だと思っていたことが、想像以上に突然押し寄せる。いつだって過去がいちばん楽しかったって思う。未来なんていつも全然明るくない。

彼は、空理空論(=この現状がすごく変わること)を振りかざしてる。これはきっと、遠回り同様、日常に対する彼の反抗であるし、その空論は今の日常から脱したピカピカの未来のことかもしれない。でも、その反抗が別にどうにもならないことも承知である、という感じがする。

何にしても、どうにかしてこの状況を打破したい気持ちはあるのに、もう本当に全てに投げやりなのだ。


赤線だらけの五線譜
淡い午後の白丁花
16小節の日常 諦めかけた一進一退
「もう一度、やり直せるなら」なんて
まあ、わかってるんだ

ここでまたピアノの回想に戻る。
皆さんは、書き込みのすごい楽譜を見た事があるだろうか?私は過去にピアノを習っていたが、練習に使用する楽譜は本当に書き込みでいっぱいになる。見落としがちな音楽記号に目立つように蛍光ペンを引き、苦手な小節には赤ペンでグリグリ印をつけ、ピアノの先生に弾けないフレーズ部分の傍に“500回練習!”と書かれたりする。(いや、もしかしてあの書き込みの量は、当時の私が練習しなさすぎたからなのか…?)

「16小節の日常 諦めかけた一進一退」は、ミスしてしまう16小節だけを練習している日々。手に疲れを感じながら「やっと弾けるようになった…!」と思っても、次の日になったら「え?」っていうくらい退化してることってあるよね。

そして、これらのピアノの練習描写は、変わらない日々の繰り返しのメタファーなのだと思う。
赤線だらけの日常(現実)と淡い午後の白丁花(理想)の比較。

(「淡い午後の白丁花」は、1番の「白い雲」「風薫る」「鈴懸通り」と同じく、歌詞全体を綺麗な風景に保ってくれる大切な役割を持っているとおもう。
「白丁花(ハクチョウゲ)」を存じ上げなかったので検索したら、5〜7月に花を咲かせるらしく、なんと杢代和人さんのお誕生日・5/20の誕生花らしい(諸説あり)。このパートを歌っているのはちょうど杢代さんでピッタリ。
また、5枚の花弁を小さくたくさん咲かせる様子から、「満天星(バンテイシ)」という別名を持つらしい。初夏、七夕にデビューした彼らになんとも似合う花。)


正しさを飛び越えて
空走りで飛び込んで
昨日より冷たい 空気に触れたい
満たされてたい なんかそれも嫌だ
遣る瀬無くて
でも甘くて
手を繋いで
夢の中へ
花と消えて
遠い記憶へ
だけど痛くて

Dメロ。ここ、急に異世界感がすごい。ファルセットで歌う感じとか、ぐっと勢いを増す感じとか、次々と溢れてくる言葉たちが、突然の異世界。
彼が帰路のバスのなかで眠ってしまったときに見た、短い夢の中みたいだなと私は思う。

そして、ここの歌詞は、投げやりだった彼の心境が変化する、結末にかけての過渡期 的な感じがする。

中でも、凌大さんのためにある!と思っちゃうくらいに似合う凌大さんのソロパ(正しさを飛び越えて〜なんかそれも嫌だ)が、主人公の彼の芯な気がする。
「満たされること」≒「歯牙にかけない 空理空論の実現」だけど、彼は「なんかそれも嫌だ」なんだな〜…と思ったり。

決して良いとは言えない現状を、良くはないけどこれもアリかもしれない…みたいな。言ってしまえば半ば諦めだけど、でも、絶対に諦めだけではない。

つまり彼は、繰り返すだけの日常にもがきながらも、その日常を受け入れるという選択肢を見出しかけている。100%愛せるわけでないこんな日常だけど、「こういうもんか」みたいな愛おしさ。馬鹿な子ほど可愛い、みたいな。(ちょっと違うけど)

続く空人くんのパート(遣る瀬無くて〜でも痛くて)は、更に夢の中の情景マシマシ。
夢=理想的な日常。楽しかった過去はどうしても美化されるし、理想になったりする。しかし過去だって、決して特別なものなんかじゃなかったはずで、大事なところでミスしては絡まり小さな期待と小さな痛みを繰り返す、今と変わらぬ毎日だったのではないか。

(「空走り(むだはしり)」って、漢字と読みでなんとなく意味は分かるけど、初めて見る言葉だったから検索してみたら、「加茂の競べ馬行われる勝負なしの走り」で夏の季語らしい。言葉自体に夏らしさの欠けらも無いのに、夏の季語。綺麗な日本語って本当に良い。)


またいつもどおりのとこで
ほんとうは待っていた
足りない言葉 そんな我儘
でも待っていた
日が落ちるみたいに
過ぎればいいのに

再び出てくる、Aメロ。ここで、はたと眠りから覚めたみたいに、切り替わる。
初っ端の「またいつも同じとこで ミスしては絡まって」と「またいつもどおりのとこで ほんとうは待っていた」が対になっている。
抜けだせない日々は、たとえ彼にとって選択肢がひとつしかないことだったとしても、彼自身が選んできた軌跡に間違いはないのだ。



バスを降りる
帰り道はどうせ一人になって
役に立たない記憶ばかりだ

「役に立たない記憶ばかり」は、序盤でも出てきた歌詞。両方とも要人くんのパートなんだけど、全然違って聞こえる。ここの半音上がる感じも、彼の考えの変化が表現されてるみたいに聞こえてくる。

バスを降りた彼は、乗る前の彼とは違う。過渡期を経た彼にとって、役に立たない記憶すら、彼の人生で生活で、未来だ。


全部知らない もう知らない
垢抜けない青空
本当も嘘も答えも
風になって それを歌って
涙はまた色変えんだ
それはとても綺麗だ
あぁ
それでいいんだ それも全部
あぁ また

ラスサビ。このラスサビ大好き。潤くんの声って本当に気持ちいいし、優しく歌い上げる雅哉くんと、高音の光咲くん。

「全部知らない もう知らない」も「役に立たない記憶ばかり」同様、序盤のサビでも登場したけど、このラスサビでは投げやりに聞こえないから不思議だ。きっと彼は日常を卑下することをやめた。

また、それに続く「垢抜けない青空」の歌詞。
曲前半の燻っている毎日では、「白い雲」「白丁花」のような、綺麗で理想的な景色しか彼の目には映っていなかった。たとえ「垢抜けない青空」が前半の歌詞に登場していたとしても、それは上手くいかない日常のひとつに過ぎなかったはずだ。
今の彼にとって「垢抜けない青空」は「垢抜けない青空」でしかなく、それ以上もそれ以下もない。彼の一日の一部に変わりない。それでいいんだ。

「本当も嘘も答えも 風になってそれを歌って」は、これらの総括で、今日見つけたこれからの彼の生き方だと思う。良いも悪いも、彼はすべてを飲み込んで、生きていく。



ピアノソナタK545楽譜記載のアレグロは、具体的な数字が決まっているわけではないが、BPM120〜150ほどのことをいうことが多い。彼がミスする際に弾いている速度は、楽譜に従いだいたいBPM120。
対して、「545」の曲の速さは、おおよそBPM100ほど。
指示された速度(期待)にならずとも、彼がミスせず弾き終えることが、「545」の答えだ。


そうして彼は、上手くいかない繰り返すだけの日常を「それでいいんだ」と受け入れながら、前に進んでいく。

これは「繰り返すだけの日常を一変させる!」みたいな根本的解決ではない。そういう意味では、「545」も、三部作の他2曲の“停滞”と同じだ。
しかし、「繰り返すだけの日常」を彼なりに受け入れられるようになった、という内的解決方法を彼は見出したのだ。これは前進だ。

変えられない毎日は悲しいし苦しいことかもしれないけど、彼が生きていく先にハッピーエンドとなりうるの方法のひとつだと思う。涙越しに見る、垢抜けない青空が綺麗だと思えているしね。
この答えを見つけた彼が、どうかハッピーエンドに続いてくれ、と思う。


僕たちの楽曲って、哲学的な歌詞だったり、ピアノロック調だったり、世界観に凝ったものが多いし、過去のミュージックビデオとかを観てもらうとわかるんですけど、僕たちの顔が映らない演出とか、結構インパクトが強くて。そういった“げんじぶらしさ”は残しつつ、今までなかったような等身大と爽やかさをプラスしたのが、今回の三部作。等身大な感じとか、爽やかさとかって、今しか出せないと思うんです。それを三部作として出すことによって、今年のげんじぶのモードがファンのみなさんに伝わったんじゃないかな?って思います
encoreインタビュー記事より
https://e.usen.com/interview/interview-original/GenJibu-545.html

原因は自分にある。って、とても平たく言ってしまえば、みんな普通に存在する男の子たち。でも、あまりに綺麗なビジュアル、「2次元と3次元を行き来する存在」というグループコンセプト、これまでリリースしてきた歌の曲調やMVの世界観により、“非現実的なアイドル(存在)”に成っていったのだと思う。デビューして以来、普通に存在する男の子たちの彼らは、“非現実的な存在”のひとつを築き上げてきた。

そうして今まで着実に、そして、丁寧に作り上げてきた“非現実的な存在”として彼らが、今回の三部作において、“超現実的かつ彼らの等身大の歌をうたう”。この、逆ギャップみたいなことが起きているのが、おもしろい。

また、MVのおいても、今まではダンス映像が多かったことに対し、「545」含む三部作は一度もダンスパートが無いのも、今までのげんじぶから大きくかけ離れた部分。いわゆる“彼らの等身大”というのは、MVの空気感からも感じられる。
あと、敢えて言うけど、雅哉くんがピアノを弾く姿が美しいので絶対見た方がいいです。


さて、原因は自分にある。のさらなる可能性を発揮した三部作、ありがとうございました。加筆に加筆を重ね、レポートみたいなバカボリュームのnoteを作る程に楽しませていただきました。

そして、ここまで書かせた「545」含む三部作の等身大の爽やかさが、「今年のげんじぶのモード」とのこと!それが全面に出されるであろうライブ、9月の五大都市Zeppツアーが待ち遠しい!(全公演ソールドアウトおめでとうございます!すごい!!)

雅哉くんのブログでは、いつかのライブでピアノの弾くかも?みたいなことを匂わせているし、ラジオではMVのシーンを彷彿とさせる振り付けが入っているという話も出た。いかなる曲でも振り付けがつく彼らが、「545」をどうやってパフォーマンスするのか今から本当に楽しみです。

これも敢えて言うけど、これからの原因は自分にある。は、絶対に絶対に見ておいたほうがいい。

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