私が今になってツイフェミを危険視するようになった理由

 今までずっと批判的ではあるものの冷笑的止まりだった自分だけど、ここ最近になって身に迫った危険を感じるようになったので、その理由やきっかけの簡素なメモ。


最低限の社交が牽制されかねない

 直接のきっかけは一番上の記事。
 ポケモンGOの男性プレイヤーから女性プレイヤーへの声かけが下心ありきのセクハラ扱いされているのを見て、いよいよ対等に人に接することすら安全ではなくなったことにショックを受けた。
 ポケモンGOの仕様として、レイドバトルの攻略には、時としてその場にいる赤の他人との協力が必要で、赤の他人とでもフレンド登録をすればレイドバトル時にボーナスが得られる。つまりこれはお互いにメリットがある話で、「もしよければお互いに得をしませんか」という申し出なのだ。
 老若男女を問わず、時に言語の壁さえ超えて、皆に等しく持ち掛けられるWIn-Winの提案なのに、「自分が男性で相手が若い女性ならやめておくべきだ」とするのはむしろ差別的で、なにより女性が社会やコミュニティから疎外されることを推し進めてしまっている
 「我々男性(と一部の女性)は助け合って幸せになるけど、あなたたちは自分たちで頑張ってね」が女性の側から正当化されてしまうとなると、これまで人が「社会」や「社会性」と呼んでいたものはもう成り立たないんじゃないか?

 AEDの話もこの懸念を後押しする形になっていて、目の前で死に瀕している人を助けることすら性別を理由に糾弾される恐れがあるとなると、いよいよこれまで一般的・常識的とされていた人と人の関わりというものが根底から崩れそうだ。
 挨拶や会釈、度を越して失礼ではない提案、なにかの許可を得るための交渉といった最低限の社交は、それに伴う他の理由(「何度断っても話しかけてくる」とか「暴力で脅してくる」とか)がない限り、それ自体が非難されたり阻害されたりされるべきではないと思う。


『ゴネ得』、『燃やし得』

 最も個人的で、最も直接的なきっかけが一番上。
 女児アニメのグッズ展開が気に喰わなかったフェミニスト(難儀なことにその作品の熱烈なファンでもあった)が無理筋な理屈で無関係なフェミニストたちに抗議を呼びかけ、その結果グッズ展開が取りやめになった事件。
 プリパラとプリキュアの区別もつかないような人を扇動した正しい倫理子(巣矢倫理子、寒川倫などの名義もある)は、Twitterのアカウントを消して逃亡……かと思えば他の名義を使ってwezzyやユリイカ、ele-kingに今でも寄稿を続けていて、結局、炎上造りはリスクよりもリターンの方が大きい『ゴネ得』『燃やし得』だという一例になってしまった

 悔しさから思い返してみると、古くは4,5年前の碧志摩メグの件から最近の大きな例だとノーベル賞を解説するキズナアイ批判まで、連中は滅茶苦茶な理屈で非難したり攻撃したりするくせに、ウェブライターや弁護士、学者といったそれなりの地位を持った人でさえ、炎上造りの失敗でペナルティを受けたケースは思い当たらない
 ゴネればゴネるだけ譲歩を望めるし、燃やせば燃やすだけ支持者を増やせる。失敗しても自分にとってのダメージはない――となると、そりゃあ底なしに治安が悪化するのも道理ではないか。

 これに関して、決して不当な私刑は肯定されるべきではないけど、しかし正当な範囲に限ってなら、悪質な炎上造りをした人にはもっと積極的にリスクとダメージを与える必要があると思う。
 ツイッターのアンチフェミニストは専ら「それは正しくない。なぜなら…」と解説ばかりしているけど、どんな正しい手段を取ればその"正しくない"事柄をやめさせられるのかを議論してほしい(……と実際にプリパラを燃やされてみて痛感した)。

 最近の私が闇堕ちしてるのは、まあこんな事情でした

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