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なぜ生きるのか?登るのか?

すべては興味で成り立っております。興味があるから宇宙自身は生まれ、そして今も私達と共に体験し、発見を続けながら広がっているのです。

広がる、とはすべてを内包していくという意味ですね。あれもこれも自分の生み出した分身だったと気づき、楽しみたいのです。広がるのは自然でございます。ですから一つにこだわるとか、一人の人といつも居るとか、いつも同じ思考だとか、いつも同じメンツと同じ店に集まって初詣に行くとか、それはご自身の魂と連動して動いておりません。池に溜めた水と同じく濁っております。

つまりは発見し続けるー変わり続けるというのが宇宙において自然であり、魂が波に乗っている最高の状態でございます。我々はなぜ生きるのか?興味があるからです。それは悲しいのか?嬉しいのか?寒いのか?暑いのか?すべてを知りたいからここで体験を継続しております。同じことを堂々巡りして心を濁らせるために居るのではありません。喜怒哀楽、いつもフレッシュに、泣きたいなら泣き、笑いたいから笑う。すべてを感じる楽しさのために、自分の体験のために各々が生きているのです。

さてその中で、今までとはまた違う事をしたいと望む魂が現れます。彼らは堂々巡りを止め、片付けるべきものをその場で終わらせる、そんな私という現在を手に入れた方々でございます。彼らは自分の体験ー喜怒哀楽をすべて終え、今度は使命感とやりがいを持って周りと共に生きようという奉仕の精神へと辿り着きました。これが5次元以上の銀河の意識であります。

なぜ登るのか?それは、先程言った自己の興味と体験を追求した結果、自然と上がっていくものでございます。分かりやすく友人同士、鍋を食べる様子で例えますと、ここには必ずと言っていいほど「ただ食べる人」と「全体に気を配る人」という分類が存在します。

もちろんひたすらお互いに獣のように食べるだけ食べているという世界もございます。この地球人のかなりがそれに該当致しますが、中には周りに気を配りながら鍋奉行を進んでやる方も居ます。ただ食べることー自分の快に没頭するだけの方と、そうではない方との大きな違いは、全体が見えているか否か?という点です。

これを視点の差ー次元の差と言います。なぜ登るのか?という理由を付けるのなら、皆様お一人お一人がそうしていずれは「神」の視点に至り、なおかつ同時に鍋を楽しむという多次元に成りたいと望んでいるからでございます。

確かにムシャムシャ鍋を食べるだけでも楽しいのかもしれませんが、やはりそこで得られる快は味覚などだけ。実は非常に限定された少ないエネルギーしか楽しめていないのです。

それに対し、あれこれと全体を見ながら奉仕する事は一見、面倒のように見えますが、やりがいという快が存在いたします。つまり視点が高ければ高いほど入る情報量は多く、精神力など自己の力量が倍に試されますが、鍋が旨いなといった五感だけではない、たくさんの体験を一度に味わう事ができるのです。

私も元々地球人ではありますが^^ 意識はここを卒業しております。しかし地球人であるという感覚は消えたわけではなく、そこに更なる意識が重なって、また新しい自分へと成っていきます。この繰り返しを、重なって重なって無限になっていく自分自身を私達は楽しみたいのです。

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