ディストピアに見せかけたユートピア漫画:『オンノジ』

 『このマンガを読め! 2014』をパラパラめくっていたら目に止まったので。主人公はおそらく中学生の女の子。ある日突然に自分以外の存在が消えてしまい、ギャグの範囲ではあるが不可解(シュール)なことが起こるようになった世界でのぼっち生活を4コマ形式で描く。途中から人語を話すフラミンゴと出会うが、彼はもともと男子中学生だったらしい。それによってラブコメ方面に逸れることはないが、主題は彼との共同生活にシフトしていく。
 
■静かな終末というユートピア
 本作の設定は、2000年前後によくみられた「社会から隔絶された少年少女」というシチュを極端にしたものと言える。より古いものだと『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を想起させる。あれには「終わりなき日常」を延々とつづける原作マンガに対する批評が込められていたわけだが、本作のような現代マンガからはその批評性はあまり感じられない。むしろ、押井守が批判的に捉えていた当の「終わりなき日常」の一変種と考えたほうがいいだろう。
 この作品は一見すると、悲劇的状況の中でも明るく生きようとする若者を描いているようだけれども、実際にはこの類の「静かな終末」にはなんら悲壮感はなく、むしろロマン主義的、願望充足的な世界観といえる。「頼むから何も起こらないでくれ」という願望である。それはおそらく、バブル崩壊後の日本で徐々に醸成されていったムードなんだと思う。
 
■少女と非人間
 本作の少女と、フラミンゴに変身してしまった少年の組合せをみると、つくづく宮崎駿の業は深いと思わざるを得ない(実際には更にさかのぼれるだろうが)。萌えとはおよそ無縁な絵柄の本作にも、〈少女〉をめぐるロリコン的なファンタジーが典型的にあらわれている。このフラミンゴは、ナウシカを姫と慕う老人たちや彼女と心を通わせる醜い蟲たち、シータを守ろうとするロボット、そしてダンディーな飛行士の豚と同じだ。逆の取り合わせ、つまり男性キャラクターと老婆や醜い人外の関係が、恋愛やそれに近い親密性に発展するというストーリーがめったに書かれないことは、実に示唆的である。ただし、宮崎駿はその辺に自覚的で、漫画版『ナウシカ』ではナウシカの母性愛の限界を描いていた。また、後年の『千と千尋』『ハウル』『ポニョ』の3作からも、自分自身の〈少女〉幻想に対する自覚がみてとれる。(『風立ちぬ』のジェンダー表象については何とも言いかねる。)
 結局のところ本作にあるのは、とてつもなく陳腐だが、執拗で、飽きることを知らない願望である。何の変化もない、邪魔者もいない世界で、無垢な少女に存在を全肯定されたいという願望である。環境の変化や他者との出会いといった日常的現実につきものの不確実性・流動性に不安を抱く人間にとっては、この世界はむしろユートピアである。
 
 なお、ファンタジー作品でない場合は、「少女―非人間」カップルは「少女―オッサン」として登場する。現在、この手の父娘モノないし年の差モノは、男女を問わず人気を博している。ミもフタもない言い方をすると、こちらの場合は、経済力の男女差という社会的実情が背景にあるだろう。一方には弱者を庇護する強者でありたいという男性の、他方には弱者という立場を利用して社会的責任を免除されたいという女性の、それぞれの(やはりよくある)願望が一致を見ることで広範な支持を得るのだろう。

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