行き過ぎた文化還元主義は妄想と見分けがつかない。:『砂の文明・石の文明・泥の文明』(PHP新書)

 世界各国の文化についての豆知識は豊富なので、タメになるのはそこくらいか。
 著者は文明と文化を区別する。そのうえで、文明は物質文明であり、普遍的なものだからグローバルに広がるが、時代とともに新しい普遍性を備えた別の文明にとってかわられうるという。それに対し、著者は文化を精神的な「民族の生きるかたち」と言い換える。そして、「それぞれの時代の文明に応じたり、あるいはもっと時代に合ったかたちに変容することが必然化される。そのため、「文化は変容しつつも滅びない」のである」と主張する。
 あまりにナイーブでゲンナリさせられた。
 
 正直言って、「日本人には四季を愛でる心がある」とか勘弁してくれって感じ。日本神話をもちだして「泥の文明は男女平等だった」と言われても、現代においてアジア圏とヨーロッパ圏のどちらがより男女平等かは明白である。歴史的にみても大差があったようには思われない。より本質的な問題として、ここでいう「男女平等」の中身はといえば、「女性が豊穣の神だから」であって、その限りにおいて女性神がいて崇拝されてきたに過ぎないのだとすれば、そんなものは男女平等でも何でもない。むしろ、ここに現代の男女不平等のルーツがないか疑ったほうがいい。
 「自然を愛する心」とやらも同様である。絶滅が危ぶまれる魚を乱獲し、五輪用の建築のためにマレーシアの原生林を破壊している日本と、ヨーロッパのどちらがより環境保護に熱心だろうかは言うまでもない。もちろん、個々人に備わる「心」の性質を、国家に拡大するのは不適当かもしれない。しかし、現実に対処できなければ、どんなに日本人が「自然を愛する心」をもっていようが何の価値もない(そもそも、それ自体疑わしいテーゼだが)。
 
 おまけに「アメリカは国民をまとめあげる固有の文化がないから、外部に敵をつくらないとまとまれないのだ」などという名誉毀損レベルの決めつけが何度も出てくる。全編こんな調子で、とにかく西欧史の悪い面ばかりをとりあげ、(中国を除く)東アジアとくに日本の良い面ばかりをとりあげる。選択の恣意性が露骨だから、いくらなんでも説得力が皆無である。

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