音楽業界の今を概観するのに適した良書だが、主張はおかしい:『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)

 テレビタイアップと露出を通じた90年代のCDの売り方。そうしたCD時代の終焉と、ライブを主な収益源とする新しいビジネスモデル。AKBによるオリコンチャートの「ハッキング」。ヒットの実情を正しく反映した総合チャートの模索。趣味の細分化と国民的ヒットの消滅。
 ……などなど、大筋は何となく誰もが分かっていることではあるけど、インタビューやデータで裏づけをしっかり取ったうえで、ストーリー仕立てで読めるように音楽業界の現況をまとめている。それだけでも新書として十分な役割を果たしているといえる。ちょっと「よいしょ」が強い気もするが、冷静な見方も提示してバランスとっているのは好感がもてる。もちろん、新しい事実や洞察などにも出会えるだろうし、手にとる価値は十二分にある良書だと思う。
 
 とはいえ本書の優れた内容については他のレビューでたくさん紹介されているので、ここでは個人的な疑問点を挙げておきたい。まず、1章ではCDに依存しなくなったことで、ミュージシャンが細く長く活動を続けられるようになったと著者は言う。10年以上活動しつづけるアーティストを幾つも例に挙げているが、他方で、長寿のバンドやアイドルが増えるほど若い人たちの参入障壁になっているのではないだろうか? 実際、既知の曲のみを聴き回す層が増えているという調査結果が去年発表されている。そこまでいかないとしても、好きなミュージシャンの新曲は聴くが、わざわざ新しい人を発掘する手間までかけない、という人が増えている側面もあるのではないか。
 また、「CDからライブへ」という構造転換については、ライブが主要な収益源となり、「五感で体験する音楽」がメインになることの弊害はないのか気になる。例えば、最近の邦楽はBPMが上がっているという話を聞く。ライブで盛り上がれる4つ打ちのポップな曲ばかりが溢れかえり、多様性が失われている恐れはないのだろうか。
 さらに、フェス人気を参考に増えてきた長時間の音楽番組も本書では好意的に取り上げられているが、ああいった番組をいったい誰が観ているのかが知りたい。若い人は観ているのか? ああいった番組は20世紀に音楽を聴いてきた人向けであり、世代ごとの懐メロを中心とした後ろ向き・内向きな編成という印象は消えない。
 
 そして、第5章にはさすがに付いていけないところがあった。
 この5章で引用される大瀧詠一の「分母分子論」は、「本来の分母」である洋楽の影響が忘れられ、「本来の分子」だった邦楽が「新たな分母」となって、その上に「新たな分子」として邦楽がつくられていることを指摘している。大瀧自身の問題意識は、分母としての洋楽を明るみに出すことにあった。ところが著者はそこを無視し、本来の分母まで遡ろうとしない若手が増えている(らしい)ことをもって、「Jポップがオリジン(分母)になった!」と喜んでいる。なんというか、唖然としてしまった。これでは単なる居直りにしかみえない。引用しておきながらその意見に従わないのなら、真っ向から反対意見を述べるべきである。
 著者は、洋楽コンプレックスがあった音楽関係者に批判的なようだが、そもそも、なぜ彼らは「邦楽は洋楽に遅れている」と考えていたのか。「欧米のものは無条件に優れている」と考えていたわけではなく、質的な差異を感じとっていたはずだ。そうした彼我の音楽性は現在どうなっているかという本質論的な考察抜きに、「若手に対する洋楽の“直接的な”影響はどうも弱まっているらしい」というだけで著者は満足できるのだろうか。国内シーンが盛り上がるなら歓迎ってことだろうか。
 これは結局、わが国のあちこちにみられる「内向き化」の一例ではないのか。確かに、「邦楽は海外では、まだサブカルチャーの一角にすぎない」ことは指摘されているものの、危機感はあまり感じられない。「ガラパゴスで何が悪い」が著者の本音のようにみえる(それだって縮小していくのだが)。すると、「CDからライブへ」にも、新たな疑問符がつく。当然のこととして、ライブは国内ミュージシャンが海外よりも圧倒的に多い。とすれば、ライブ重視もまた「内向き化」の現れとも解釈できるのではないか。
 
 本書は、佐々木敦の『ニッポンの音楽』も参照しているが、同書が冷笑を込めて指摘していた「文化的な自閉=鎖国」を著者は“ニッポン人”として見事に体現してしまっているようにみえる。
 他方で世界に目を向けると、インターネットの普及で人びとの趣味が多様化していく「ロングテール」な状況が現れるかと思いきや、そんなことにはならなかった。情報が倍々になって拡散していくネットと巨大資本が結びつき、極少数のメガヒット(「モンスターヘッド」)が生まれるという、これはこれでネオリベ的な殺風景が広がっている。こういった「モンスターヘッド」な音楽も、Jポップの枠組みに居直った音楽も、自分には画一的に思えてならない。つまるところ、行くも地獄・戻るも地獄というか、「面白くなってきた」と興奮する著者をよそに、「うへぇ」という気持ちになるのだった。

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