見出し画像

『あかり。』 第2部 S#73 相米慎二監督の思い出譚・言語コミュニケーションと非言語コミュニケーション

三日前に、初めてぎっくり腰になった。ジャックの犬友だちにおやつをあげていて、なりました。こんな15年も続けているなんでもない動作の中にこれほどの衝撃が待っていたとは……考えたこともなかった。いまは多少は良くなりましたが、現在寝込んでいます。

腰が痛い……といえば、相米監督です。まあ、腰に限らず、あそこが痛い、ここが痛い、と会えば必ずと言っていいほど、どこがが痛い人でした。
で、誰かに揉ませる。踏ませる。
踏めと言われても、恩師をそうそうに踏めるものではありません。スタジオの床やソファに、でろんとうつ伏せになった監督の背中や脚や足を恐る恐る踏む。それは僕だけの役割ではなく、その場にいる誰かの仕事でもあるわけです。

ほんとにどこか痛かったのだとは思うのですが、実は案外そうでもなくて、スタッフやキャストとの非言語コミュニケーションでもあったような気がするのです。
美術の助手の女の子やスタイリスト助手や制作助手や……そういう忙しくしているスタッフに割と声をかけ「あそこを揉め」「ここが痛い」などと一見わがままふうに装って、「どうなのよ?」とか「元気にしてんの?」などと実は気遣っているのではないか……いや、これはよく解釈しすぎ? 

まあ、実際のところはわかりません。
でもそれでいいんじゃないかと思うのです。
スタジオの照明用の白カポックに寝そべり、腰を踏ませている監督の姿は、現場の監督らしい風景の一コマです。

一方、撮影になると役者には「他にないのか」「もっと面白いことやってみ」などと突き放したような感じの時もあったり「まあ、そうだよな……〇〇は〇〇で、あーでこーで……」などと説明に情理を尽くす時もあります。

そんな時は、僕は耳をダンボにして「監督がどんな言葉で演技を引き出すのか……」必死で聞き耳を立てていました。

たまたま、腰を痛めていて、真夜中過ぎにふとそんなことを思い出しました。

でもどうなんだろう? あれはやっぱり<痛い痛い詐欺>じゃなかったんじゃないかなあ……。
 
いつも下駄履きの相米監督の足裏を踏んだ感触は、今も僕の足の裏に残っているのだから、人の記憶とは不思議なものです。
非言語だからこそ、の記憶のひとつです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?