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『あかり。』(第2部) #48 ルージュに、伝言・相米慎二監督の思い出譚

ポッキーのCMを計10本仕上げた。
なかなかの分量である。これを年間通して順次オンエアするわけだ。
シリーズCMが「おっ、こんなのやるんだ・・・」とワクワクしたのはいつ頃までだろう。
最近、そういうCMを見なくなった。


CMは世間の気分と比例しているから、ずっと不景気だし、特に震災以降、仕掛けが減った気がする。コロナ禍が完全に後押しした。

物を声高に宣伝し、大量に売るのは、品がない、とっくに終わった思想なんだろう。
そんな時代にあって、CMが元気であろうはずもない。
ネットで叩かれないように、誰かを傷つけないように、問題がないように、隙間を縫うように、そんなことばかり考えていたら、いいアイデアも作るのは大変だ。コンプラは、すごく生きにくい考え方だ。制作部の手間は膨大にありそれだけで疲弊する。こんなことばかりしていて、誰が得するのか教えて欲しい。

すいません。昔話に戻します。。

ある日、ゆっくり寝ていたら妻に起こされた。
「電話だよ。相米監督から」
「え……」
寝ぼけ声で取ると、
「いま何してんの?」
と電話の向こうで監督が言った。
「すいません、寝てました」
「あー、そう。わかんないことがあるから、教えてくれない?」
「え……監督、今どこですか?」
電話口の向こうで、監督が誰かと話している。
「……スーパーファクトリーだって」
「あ……わかりました。すぐに行きます」
僕は慌てて飛び起きて、急に出かけることを妻に伝えた。
「ありがたいね」
と、妻は笑っていた。

横浜の鶴見区にあるスタジオ・スーパーファクトリーのCst.には大きなセットが組まれていた。今日は建て込みと呼ばれる準備の日だった。スタジオ内をスタッフたちが忙しく立ち働いている。
とにかくライト機材が多い。

監督を探すと、手持ち無沙汰にスタジオをうろついていた。
監督が僕に手を挙げた。
「どうしましたか?」
「よくわかんねえから、コンテ描いてくれよ」
「え?」
監督は、一枚の写真をくれた。

その写真は、誰か有名なフォトグラファーの写真だったのか、どうか知らないが、ストリッパーなのか娼婦なのか、パーティ会場なのか、とにかく女たちが鏡に向かってメイクしている化粧部屋の一瞬を切り取った物だった。
トム・ウエイツの『娼婦たちの晩餐』というアルバムがあって、そのジャケット写真にもどこか相通じるものがある。

続いて、絵コンテが渡された。今回、その制作会社に所属するディレクターが描いたものだ。

「え…コンテあるじゃないですか」
「まあ、あるんだが、、これでいいの?」
監督は、ニヤリとする。コンテの内容に満足していないようだった。
かといって、他の人が描いたコンテをリライトするなんて、正式に依頼されてもいないのにできるわけもなかった。
(僕はこの仕事のスタッフではない)

「いいから描いてみてよ」
「わかりました」(……と言うしかなかった)

セット内を見渡すと、撮影監督のKTさんがいた。またアメリカから呼んだのだ。美術デザイナーもアメリカ人だった。つまり、海外の広告のテイストを入れた作品にしたいのだ。
商品は、資生堂が新しく出す口紅で、ずらりとラインナップがある。看板商品のリニューアルだ。
キャストは、ケリー・チャン、ミッシェル・リー、緒川たまき、の三人だった。

資生堂の広告は、いつの時代だって広告屋の花形だ。規模も大きいし、関わる人も注目度もある。
資生堂宣伝部出身のクリエーター・・・ともなれば、今だってある程度ブランド力がある肩書きだろう。
その時は日産のCMの時の広告代理店のシニアクリエイティブディレクターが相米監督に白羽の矢を立てたのだった。

僕は制作会社のプロデューサーやディレクターを探したが、まだ来ていないようで見当たらなかった。

ついていた人はどこにいるのだろう・・・。
ひと月くらい前に、その制作会社の宴席に呼ばれたことがある。どこかのバーだ。それで、いつもはどんな風にやっているのか、どうしたらいいのか、事情聴取をされていた。
ちゃんと伝えたつもりだが、うまくいっていないのだろうか。アシスタントにつく予定のディレクターも忙しい人だったが。

その人をもう一度探したが、やはり見当たらなかった。
想像するに、その人が描くものをギリギリまで粘って待ったが、監督が乗れるものは上がらなかったのだろう。

スタジオの片隅に支度部屋的な小さな部屋がある。
僕は、そこにこもってコンテを描くことにした。時々、監督が覗きに来て「できてんの?」とプレッシャーをかけにくる。ニヤニヤしている。
僕は、相当テンパりながらコンテを描いていた。ストップウォッチはいつも持っているので秒割りを細かくした。監督の撮り方をイメージしながら、コンテを切った。

やがて、制作会社のプロデューサーがやってきた。
「すいませんね」と、苦笑いだった。
「いえ、こちらこそ。なんかすいません」
みたいな、モゴモゴとしたやりとりをした。
きっと監督から経緯を聞いたのだろう。
しかし、僕のやっていることは、やはりルール違反だから、きっと気持ちのいいものではなかったはずだ。

コンテをようやく描き上げ、監督に見てもらった。
「ふうん」
「どうでしょうか?」
監督は、それをKTさんに見せた。
「どう撮るのよ」
KTさんが、コンテを見て(これも緊張する話だが)僕にいくつか質問をして、それに説明を加えた。
なんとなくカメラのイメージを探っているようだった。
セットの中はすごい光量で眩しい。

結局、その日を含めて3日間、スーパーファクトリーに通った。

監督が外国人俳優にどんな演出をするのか見れるなんて、貴重な機会だし、いきがかり上、いたほうがよさそうだった。
プロデューサーにも許可をもらって、僕はカメラ横のモニターの側でストップウォッチを押した。

監督はあくまで日本語で、いつものように俳優たちに声をかけた。そのそばから通訳の人が訳していた。この人がなんとも勘のいい人で、タイムラグもなく、監督のニュアンスを英語にしていた。相当意訳しているのだろうが、なぜか伝わっている。

ミッシェル・リーが反応し、ケリー・チャンも応酬する。緒川たまきもつられるようにして応えていた。
三人の女がメイクルームで意地の張り合いをするかのようなワンシーンが出来上がっていった。

誰かが猫の鳴き声をすると、監督が乗って、「そういうのもっとやれよ」と言った。

それをKTさんが、アメリカナイズされた移動撮影で捉えていった。

コンテを描いたり、秒割りをしたりすることはCM演出では必要なことなのだけど、それよりもっと大きな目線で「伝えたい気分」みたいなものを監督は優先する。

秒割りなど、あとからついてくると言わんばかりだった。
しかし、秒割りはそう簡単についてこない。入らないものは入らない。
何度か、短いテイクをお願いした。

たとえば、映画だとしたら、そのオーバーする尺が大きければ大きいほど、切らなくてはいけないシーンが増えていくわけで、監督のスタッフがよく言っていた「ラッシュが素晴らしかった」という逸話は、ここに原因があると思う。

映画もCMも時間芸術でもある。まあCMは芸術ではないけど、時間という制約はすごく厳しい。絶対にオーバーできないのだから。

監督の演出は、案外と外国人と相性がいいのかもなあと見ていて思った。
外国人俳優は、指示待ちをしない。言われる前に何かやってみる。言われたことに返すレスポンスがいい。
それがあたりまでしょ、と言わんばかりだった。ちょっと悩むふうの仕草はしても、すぐに切り返した。

これはその後、僕自身も海外で撮影を重ねて感じたが、演じることに対する概念が少し日本の俳優と違うのかもしれない。
今では多くの俳優が海外作品に参加している。たいてい、新しい発見や喜びがあったような発言をする。
海外では「委ねられる」ことが多い。撮影現場にいる誰もがプロフェッショナル意識が高い。そして、対価や扱いがきちんとしている。

撮影では、広告代理店の顔見知りの人たちやスタッフは、「なんでいるの?」とからかうようにして言ったが、概ね歓迎してくれたので、あまり息苦しくはなかったが、悪目立ちするのは避けたいので、カメラ横にいることにして撮影を終えた。

仕上げを覗きにいくと、なかなか面白い仕上がりだった。
ついていたディレクターが頑張っていた。
嫌な気持ちにさせただろうな、と思うと少し心苦しかったけど。

それから一年後くらいに、その時のプロデューサーが面白い仕事を振ってくれた。
今度は僕だけがアメリカに行き、外国人スタッフと組んだのだが、出演者も全員アメリカの俳優で、撮影監督は映画『レザボア・ドッグス』を担当した気のいいおっさんだった。
移動者を2台連結して、レールで撮ったりする面白い人だった。
スクリプターのおばちゃんが、また厳しい人で、俳優がセリフを間違うと、ビシビシ叱るので頼もしい。この人にずいぶん助けられた。
すごく楽しく勉強になった仕事をさせてもらった。

そんな感じで、ありがたいお返しがあった。なんとも義理堅い制作会社とプロデューサーであった。









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