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『あかり。』(第2部) #47 @レディジェーン・相米慎二監督の思い出譚

下北沢にレディ・ジェーンという半ば伝説のバーがある。
多くの映画人が集い、ここで笑い、泣き、喧嘩したとかしないとか物騒なものから愉快なものまで、伝説が絶えない店である。もちろんまだ今も営業している。
高い店ではないが、敷居が高く、近所にいながら案外いく機会は少ない。
松田優作のボトルが蝋で封印されて、静かに保管されている店といえば思い当たる方もいるかもしれない。

その店に相米監督と行ったことがある。
あれは、多分、下北沢で芝居を見た帰りだと思う。
その頃、一緒に下北沢へいく用事と言えば、小劇団の舞台を見ることだった。
しかし何を見たのか、それが記憶がない。
きっと印象に残らない舞台だったんだろう。
胸が熱くなるような舞台を見れば、何年経っても、必ずその断片や印象を覚えているものだ。

レディジェーンに行くと、映画関係の人がいたのだっただろうか……覚えているメンバーは、桃井かおりさんと竹中直人さんがいたことだ。
そして、榎戸耕史監督がいた。
榎戸監督は、初期の相米映画から最近作までずっと助監督を務めた人である。スタッフではなくても手伝いに行くそうだ。どうやら監督がそれとなく呼ぶようだ。
話を伺うと、とにかく尋常じゃない貢献というか、なんと言ったらよいのか・・・とことん監督に尽くしている人だ。

よく監督が、昔の作品について僕が聞くと「榎戸は偉いやつだ」と何かにつけて褒めていた。
その貢献内容を聞くたびに、密かにプレッシャーを感じ続けていた。
何度かお目にかかってお話ししたことはあるのだが、柔和な表情でどこかお坊さん的な風情のある人だった。

その日はどういう集まりだったんだろう。
僕は末席で水割りを作っていただけだから、あまり覚えていないのだが、なんか映画を作ろうじゃないか・・・みたいなことだったのかもしれない。

あらかた、話も尽きて、帰る段になり、深夜の茶沢通りでタクシーを拾った。
監督を乗せて、見送って、榎戸監督と二人になった。

「ムラモトくんは相米さんについてどれくらいになるの?」
と榎戸監督が聞いた。
「2年半くらいです」
と僕は答えた。
「そう……。僕は、24年だよ」
そう言って、榎戸さんは煙草を空に吹いた。

その時間に、尊敬の念を瞬間的に抱いた。ハッとなった感触を今も覚えている。
榎戸監督は、自分が監督として立つことよりも、相米映画を支えることを選択しているのだ。
それは、当時の僕からすると、自分を殺す、残酷で、美しいものに見えた。


映画を撮ることは、正直、誰にもできることだ。
勢いと熱意があればいい。規模なんかも問わなくていい。
ただ撮ればいい。
撮影現場では、便宜的にいくらでも『監督』と呼ばれるだろう。

ただ『映画監督』になるのは誰もができることではない。

そこには深くて長い河が流れている。
その時、僕にはまだその差なんて、多分1ミリもわかっていなかった。

榎戸監督と僕は、茶沢通りに立ち、監督が乗ったタクシーが見えなくなるまで見送っていた。

人の凄みを感じるときは、いつもさりげない瞬間に訪れる。








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