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「なんとなく大学へ進学する」ということが無駄ではないかということを、きちんと考えてみる必要があるのではないか?というお話

こんにちは、どうも僕です。西出大介と申します。
Twitterでは@knife0125 な人間で、Facebookでは西出大介な人間で、@Awesome Ars Academiaというセブ島にあるグローバルテックスクールのマネージャーをしています。

僕の管理している上記テックスクールは、シンガポールや香港、日本のトップベンチャーと仕事ができる英語圏トップレベルの開発チームを擁しながら、そのレベルのエンジニアを講師として、欧米圏トップレベルのプログラミングブートキャンプと同等のプログラミング学習をサポートする、というテックスクールになっています。

僕たちのスクールが達成するべき1つの大切なミッションとして考えていることに、今後の日本の未来を担えるような世界で活躍できるテックタレントを輩出していく、ということがあり、わかりやすく具体的なイメージを提示すると、下記の若手人材をドンドン輩出したいと考えています。

0. 高校を卒業する
※ ここで、「なんとなくみんな行くから」という理由で大学に進学しない」という選択をできる高校生が増えると良いなと思っています。=> 後述

1. 弊社テックスクールで半年〜1年ほど学んで下記4点を身につける
・「異文化や多様性へ価値観が開かれる経験」
・「バックエンドとフロントエンド双方のプログラミング基礎能力」
・「テクノロジーへの本質的な理解(社会にどのようなインパクトを与えるか)」
・「英語での基礎会話能力」

2. さらなるスキルアップのために海外インターン or 海外アルバイト経験を積む
・「英語ベースの多国籍チームで実務経験を積み重ねる」

3-1. 世界中のどこでも通用するテックタレントとして就業している
・「20歳や21歳になる頃には、シンガポールや香港、オーストラリア、ヨーロッパなどで、海外で働くエンジニアとして就業している」
or 
3-2. 目的を明確にした状態で大学への進学する
・「異文化経験・海外経験・実務経験などを通じて広げた視野を元に、何を学びたいか目的意識を持った上で大学へ進学する。しかもプログラマーとしての開発スキルがすでにあるので、一定自活するスキルも持っている」

今後世界で活躍したり、個人として自身の生活の指針を自ら立てて生きて行くことができる若者が増えるためには、上記のような生き方が、一つのパターンとして増えてきても良いのではないか、と思っています。

上記を実現するにあたって、最近考えていることは、
・今の日本の大学に(高校卒業後にそのまま)進学することって本当にそんなに必要なのか?
・高校を卒業したら大学に行くという常識ってもっと疑った方が良くないか?
・そもそも明治維新と戦後GHQによって作られた学制ちょっと古いから根本的に作り変えるくらいの発想で全部見直した方が良いのではないか?
・そもそも「近現代」が終わりつつあるのに「近代的パラダイム」に則った学校制度は革命的に変えたほうが良いのではないか?
というようなことです。

今日は、上記のような考えと関連して、「大学進学の必要性」について一歩立ち止まって考え直してみるキッカケを提示できるような文章を書ければと思っています。


そもそも今のままの高等教育(大学)への進学は必要か?

そもそも、今の日本の大学生の中で、「明確にこういう目的を持っていて、その専門家が○○大学の✗✗教授であるがゆえに、△△大学の□□学部を志望している」というくらい、大学という高等教育・研究機関に入学する必然性を持って大学に進学する学生がどれだけいるでしょうか?
適当な直観値で書いてしまいますが、これだけの明確な目的意識を持って、本来は専門性を高めるために行くべき高等教育機関への進学を目指している学生は、10%も居ないと思っています。

「なんとなく大学に行く」という「なんとなく」な若者を18歳の段階で毎年60万人近く生み出し続けていることが、日本としてイケていないのではないかと個人的には思っています。
国立大学に4年間通った場合の学費の平均金額が、およそ300万円。
私立大学文系に4年間通った場合の学費の平均金額が 、およそ500万円。
私立大学理系に4年間通った場合の学費の平均金額が、およそ650万円。
そして、日本の4年制大学の大学生数の総数が、250万人ほど居ます。

上記の数値をかなり乱暴にざっくり平均値×人数をしてみます。
1人あたりの年間学費平均額(超概算):
        120万円
= (300+500+650)/ 3)/ 4
1学年あたりの人数:
        60万人


日本の大学生の学費合計:
        2兆8800億円
= 120万円×60万人×4学年

上記のような数値になります。

かなりの割合の学生たちが、「なんとなく大学に入学」し、世の中の流れに流されて「やらないといけないから就職」をしている現状において、
仮に2割の学生が「本気で大学生でないと得られない活動をしている」と考えても、
毎年2兆円以上の金額が、「なんとなく大学に通う大学生の学費」としてもしかすると浪費されているかもしれない、と思うと末恐ろしい金額だな、と思うわけです。

これに、月額8万円、年間100万円、学生が生活費を利用していると計算すると、それらの周辺コストとして動いている金額が、
100万円 × 240万人 = 2兆4000億円
という金額になります。

上記2つの金額を合計すると、大学生が大学生をしているだけで動くお金の年間金額の合計が、
【5兆2800億円】
という金額規模になります。
これが、大学院生などを含めていないことや、専門学生や短期大学生などを想定していない金額として、ざっくり想定される金額トータルとなるわけです。
また一人暮らしの下宿に必要になるような費用なども度外視しています。

そしてもし仮に、ざっくりとした直観値として冒頭に書いた「10%くらいしかこのお金が有効利用されていない」という数値をベースに計算すると、
5兆2800億円 × 90% = 4.5兆円ほど
が、「なんとなく大学生をとなった学生が利用している金額の総額」となるわけです。

暴論であることは理解していますが、あくまで一つの可能性として、

私たちの日本社会は、毎年4.5兆円という莫大な金額を、「なんとなく大学に行っているという大学生の生活」に対して、浪費している可能性がある。

ということを認識しておいた方が良いのではないかと考えています。
これは、大人や教育者だけではなく、現在大学生をしている学生本人や、今後大学への進学を検討している中学・高校生、もちろん子どもさんをお持ちの親御さん、あまねくすべての人が認識しておくべき数値であると思います。

※ 特に意欲を持って学生をしている大学生や、意欲を持って大学への進学を検討している高校生などは、不快にさせているかもしれずごめんなさい。
ここで不快に思う人はおそらく10%の中の人だと思いますし、不快であったとしても、一般論としてこのように見えるかもしれない、ということは、認識するに足る観点ではあると思います。
また、親御さん側は常にこの金額感を意識しているはずで、にもかかわらずこの金額をサポートする前提で大学進学のためにお子様をサポートしているのだと思うと、大人になった今、頭が下がる想いです。


私たちは高等教育(大学)の学費を有効利用できているのか?

さて、上記のような「もしかすると日本社会は目的意識が弱いまま進学してします学生が多い大学教育のために4.5兆円ものお金を浪費しているかもしれない」という観点に立ったときに、私たちはそれをどのように受け止めるべきでしょうか。

もちろんこれは様々な観点から捉えることができます。

たとえば、労働力という観点だと、「大学生のアルバイト」という非常に有能な労働力は、今の日本社会が円滑に回るために一定必要とされている労働力でしょう(最近は、悪名高く途上国労働力を輸入してより安価に酷使する、ということが一定流行しているようですが...)。
他方で、消費者という観点だと、5兆円もの消費をしてくれているので、一定の消費者としての役割を果たしてくれているのかもしれません(こちらは実際の消費者マーケットの総体規模から考えるに、それほど大きくないのかもしれないですが)。

とはいえ、上記のような観点は今回はあまり意味がありません。

再度これらのことを考えるときに、下記のような問いかけを僕たちは自分たち自身に投げかけておく必要があるのではないか、と思っています。

親として、4年間でおよそ900万円(500万円の学費+400万円の生活費)を、今後の未来を生きる子どもたちにとって、本当に価値があると考えて支払うべき金額だと思えるのか?
大学生や大学卒業生として、もう一度高校生に戻って900万円もらえるならば、もう一度同じように大学に入りたいと思うのか?

高校生として、900万円もらえるならば、他にもっと本気でチャレンジしたいと思えることを持っていないのか?

このような観点で、
個々人の観点からは1人あたりおよそ【900万円(4年間500万円の学費+生活費100万円×4年間)】というお金について、
日本全体の観点からは【年間5兆円】というお金について、再考する必要があるのではないか、と考えています。


なんとなく社会に流されて行くくらいなら、大学なんか行かずに立ち止まってみる価値もあるよ、という話

いまこの文章をかいているのは、2019年4月でして、日本の新しい元号が発表された月です。
そんな中でソフトバンクの孫正義さんの下記インタビューを読んでました。

この記事の中で非常に印象に残っている部分を下記に抜粋します。

新しい文化というのは常にいかがわしいところから生まれる。ビートルズだって、当時、僕らが子どもだったころは、いかがわしいと。あんなのを聴いたら不良になると言われたわけですよ。でも今では音楽の教科書にも出てくるでしょう。
だいたい幕末の志士たちも、当時はいかがわしい連中だったんですよ。当時の“大人”たちは幕府の側にいたわけですからね。でも、いかがわしい若者たちが、新しい時代をつくった。幕府や藩の重臣の中には、いかがわしい若者たちがもしかしたら未来を切り開くかもしれないと理解を示した大人もいたわけです。

この文章を読んでいても思ったのが、「世の中周りがみんな大学に行くから、なんとなく大学に行く」というのは今の常識なのかもしれないのですが、それって孫さんの言うところの「幕府側」の話を信じちゃって思考停止してる状態だと思うんですね。「新しいチャレンジをする人」ってのは、やっぱりいつの時代もいかがわしいもんだ、というのは僕も思います。

また、平成はやはり「失われた30年」だったわけです。そして、今の常識は「失われた30年」の常識であって、「みんなが行くからとりあえず大学に行く」という「失われた30年」の常識に従った人生選択をするということは、親も先生も学生もみんな一度疑ってかかる必要がある、ということです。
「失われた30年」の常識を守っていると、僕たちが10年後に迎えるのは「失われた40年」になるだけです。

「今ある社会の常識に疑問を持っている」という学生さんが居たら、周囲に「いかがわしい」と思われても全然良いので、「とりあえず大学に行く」というレールから外れてみることはすごく価値があることではないかと思います。中学や高校くらいの若い段階から、今の身の回りの常識を疑う癖は付けておいて良い。
もし「疑問すら持ったことなかった」という人が偶然にもこの文章を読んでくださったのであれば、「一度疑ってみる」ということをしてもらえると嬉しいなと思っています。

また、「今の自分の常識」を疑うキッカケを作るために、海外留学の経験は良いきっかけになります。
途上国は思ったよりも途上国じゃなかったり、世界最先端の先端は僕たちが思っているよりも未来的だったりします。


21世紀前半の日本は大丈夫なのか?

孫さんが引用した幕末の話に戻るのですが、やはり課題先進国と揶揄され、「失われた30年」を経た日本は、目に見えた黒船という脅威を目の当たりにしていないだけで、実際には幕末以上・第二次世界大戦後以上の危機に瀕しているという感覚は必要ではないかと思っています。

最悪のシナリオを考えれば、日本の四季という豊かさを持った観光資源を運用する権利を中国企業に買収され、日本の税収が本気で減少し、ドーピングが切れた日本の地方自治体は崩壊し、人生100年時代を生きる段階ジュニア世代は生きがいを持った老後を送れず、相対的貧困家庭の子どもたちは教育を十分に受けられなくなり、戦後に作られたベッドタウンは多国籍労働者と捨て子のあふれるスラムと化していく。

そんな未来を想像しようと思えば想像できるのが今の日本なのではないか、と思うことがあります。


そんな中で、「今後の日本やアジアという共同体」を本気で創っていくことのできる人材が増えていく必要があると思いますし、そういう人材が巣立っていくベースキャンプになるような場所も必要だと思っています。

最近では、ホリエモンのゼロ高や、KADOKAWAのN校シリーズ、Loochsと呼ばれる新たな高校や、ミネルバのような新たな大学、和製ミネルバを志向しているであろうインフィニティ国際学院、喜多恒介さんのAlter-Narrative University、など、本気で日本の教育を刷新しようとする動きは多く生まれてきています。

そんな中、私としては、21世紀という新たなる幕末の中で、「令和の松下村塾」のような場所を、日本国外から作っていきたいと考えています。
そんな想いを、最近はTwitterのサービスアカウントでもツイートしてしまいましたが、このあたりは本当に成し遂げたい1つのことです。


令和の松下村塾を目指して

最悪のシナリオとして、相当の破局の可能性を秘めた未来社会を迎える可能性があるかもしれない日本。その日本において、そんな最悪の未来を生きる可能性もある若者と関わるあまねく親御さんや教育者。
そんな破局の可能性を秘めた日本というローカルで苦しい人生を送る。もしくは、グローバル化とテクノロジーによる社会の変化に波に乗り、場所を選ばず自らの人生を設計し、わくわくする人生を歩んでいける可能性も持っている高校生や大学生。

そんな中で、よりポジティブな未来の可能性をともに創っていける若者が巣立つ、「令和の松下村塾」ともなるべく運営しているのが、私の運営している海外テックスクールです。

再度孫さんの言葉を引用しますが、
「いかがわしい若者たちがもしかしたら未来を切り開くかもしれないと理解を示した大人」の一人として、新しい時代を作る「いかがわしい若者」を支援できる場所の1つでありたい。
そう考えています。

ぜひ一人でも多くの親御さんや先生方、並びに日本の若者に、今の日本の常識へ疑問を持ってもらい、その上で世界の中の個人として生きていく力をつける一つの選択肢として、Awesome Ars Academiaを知って頂けたら嬉しく思います。


私の管理するテックスクールは、未来を担う人材育成をしたいと考え、私設奨学金として受講生へ割引をしたいと考えています。 もし記事を読んでサポート頂けますと、弊社スクールを検討する学生への奨学金としてプールし、還元していきます。小額でもぜひ、サポート頂けますと幸いです。