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彼の人を思ひ此の地に行き着きぬ

最近家探しをしてわかったことがあります。
条件検索にはあまり意味がないということです。

賃貸物件をエリア・タイプ・部屋数・家賃などの条件で検索し、お気に入り物件リストを前もって不動産屋さんに送りました。
内見して私たちが選んだのは、お気に入り物件リストにはなかった、その日初めて見た物件でした。
その物件は、いくつかの条件を満たしていません。駅から微妙に遠いし、広さが足りません。それなのに、中に入って2分後「ここにします」と決めていました。
その家と恋に落ちたのです。

家探しと恋人探しは似ています。
マッチングアプリ等を使って、年齢・収入・学歴・趣味などの条件で相手を見つけても、その人を気に入る保証はありません。それどころか、条件を満たしている人とは恋に落ちる確率は低くなるでしょうね。なぜなら、条件はアタマで考えるもの、恋はココロで感じるものだからです。
どこがいいのかわからないけど、好きになってしまった。それが恋。

住むところについても同じことが言えるのではないでしょうか。
気候、利便性、食文化、娯楽、景観、治安といった条件で住む場所を選べたとしても、そこに住んで好きになるかどうかは別の話だと思うのです。
条件を満たしている相手とは恋に落ちないように。
どこがいいのかわからない人を好きになるように。

そこで、人を好きになるパターンを参照しながら、どこに住むのがよいのか考えてみます。

ひとめぼれ

お米の品種ではありません。
人間は人と初めて会ったときに、短時間で膨大な情報を得ているものです。その人の顔、表情、服装、話し方、佇まいなどから、人格まで含めた好嫌を総合的に評価しています。直感のようなものですが、それはかなり正確で、何年付き合ってもほぼ第一印象のまま、というケースが多いのです。
ひとめぼれは、人を好きになるパターンの王道だと言えます。

場所にもひとめぼれすることがあります。
初めて訪れた地で、なんか好きだ、と直感するのです。その土地のにおい、風物、人々の様子などから、ここは私の場所だ、とわかる瞬間。そう感じたら、住んでみればいいと思います。人に対するそれと同じで、土地に対する第一印象は、たいてい当たっているものです。
ひとめぼれの地と出会うにはどうすればいいでしょう。
それはできるだけ多くの地を訪れることでしょうね。
人を好きになるには、できるだけたくさんの人と会うこと。それと同じです。

運命の赤い糸

「なぜめぐり逢うのかを私たちはなにも知らない」
「いつめぐり逢うのかを私たちはいつも知らない」
「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」
中島みゆき『糸』ですね。
赤いと言いつつもそれは目に見えません。なぜかもわからず、いつかもわからない。それでも、その糸は確かに存在します。大事なタイミングで出逢う人。不思議と何度も再会する人。そのときは気づかないかもしれない。その偶然を必然と錯覚できるのが、仕合わせになる人なのでしょう。

そんな場所ってありませんか?
人生の転機があったときに住んでいた街。なぜか何度も戻ってくるところ。「縁がある」と言ったりもしますね。その場所とは運命の赤い糸で結ばれているのでしょう。運命の地を大切にしたいです。苦楽をともにしながら、最期まで添い遂げるのも悪くないと思います。
運命の人も、しっかりつかまえておかないと運命の女神に見放されてしまいますから。

初恋

あなたは人生で最初に好きになった人のことを憶えていますか?
美しい記憶でもあれば、ほろ苦い記憶でもあるかもしれません。
ほとんどの人にとって、初恋とは過去の話ですよね。今さらどうこうできるものではありません。しかし、忘れてはいけないものだと思っています。
過去の記憶とどう付き合いながら歳を重ねていくか。そのヒントは、初恋の記憶をどういうものとして心に留めておくかにあるかもしれません。

初めて好きになった場所。それは、初めて好きになった人と似ています。
辛く苦しかった記憶とワクワクドキドキした気分とが同居しているからです。初めて一人暮らしをした街だったり、初めて住んだ異国だったり。初めての恋と同じように、そこは生涯にわたって無二の地であり続けます。
両者の違いは、そこへはいつでも会いに行ける、というところです。初恋の人にはそうそう会いに行けませんからね。
最初に好きになった地を、人生最後の住処にするのも粋ではありませんか。初恋の人は心の内にしまっておいて。

大切なものは、ずっとそこにあった

いつも近くにいる人の有難みにはなかなか気づかないものです。
いなくなって初めて気づくことや、あるとき不意に恋心が芽生えることもあります。あだち充『みゆき』もこのパターンでしたね。
それまで恋愛感情など微塵もなかった異性の友人や同僚というのは、ふとしたハプニングで案外簡単に恋愛に発展するものだと思います。
それほど好きでもない人と結婚したけれど、長年一緒に暮らしているうちに本当の恋が生まれた、なんてことも。

生まれ育った土地や就職した街に惰性で住んでいると、その場所に対する想いに気づかないものですが、その地を離れないのは無意識のうちにわかっているからでしょうね。ここが私の居場所である、と。
自分が積極的に選んだ場所でなくてもいい。長年住んでいるここが安住の地なのです。そしていつかはっきりと気づくでしょう。「ここが好きだ。」
『みゆき』マジックですね。きみが好きだ。どうして今まで気づかなかったんだろう。一番大切な人がこんなに近くにいたことに。

片想い

誰でも一度は経験していますよね。
せつない響きがありますが、片想いこそ究極の恋と言えます。なぜなら、成就しないゆえ持続性が高く、見返りを求めないゆえに純度が高いからです。
片想いは人を成長させます。利害も損得もなく人を好きになることの尊さを知ります。この世はままならないことを学びます。世のなかには報われない想い、報われない努力、報われない仕事もたくさんありますからね。
それに、片想いはいいものです。ピュアな心で空想の世界に揺蕩うも亦た楽しからずや。

住みたい場所に片想いすることもあります。
いつかそこに住みたい、と恋焦がれながらそこに住むことはできない。遠くて手が届かない。受け入れてもらえない。未だ実現されていない世界もあるでしょうか。
そんな理想の地を心のなかに抱き続けるロマンチストでありたいものです。片想いと同じように、手に入れられないものは儚く美しいまま想い続けるのがいいのかもしれません。

禁断の恋

『高校教師』や『失楽園』を連想されるかもしれませんが(どちらも古いですね)、あの程度は禁断のうちに入りません。
禁断の恋といえば、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』です。(もっと古いですね)
恋は障害が多いほど燃え上がるものです。周囲が反対すればするほど、想いは強く逞しくなります。止めるだけ無駄というものです。

禁断の地に住んでみたくなることも、人によってはあるでしょう。
例えば、呪われてる。戦争してる。禁足地。秘境。密林。廃墟。
悪いこと言わねぇからやめとけ、と周りの人は言うでしょう。
「キャピュレット家の娘はやめとけ」と言われたロミオのようなものです。
やめるわけないですよ。誰かを好きにならずにいられないように、どこかへ行かずにはいられない衝動、私にはよくわかります。
「やめとけ」と言われたら、それは「行け」というサインなのだと思います。

以上、6つのシナリオを提示してみました。
さてと・・・
どこに住もうかな。
あの人を好きになったときのことを思い出すとしよう。
 

#どこでも住めるとしたら