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たまには英語について雑談を

英語について、コツをつかむ系の話は過去記事にほぼ書き尽くした感があるので、今回は雑談をします。
「英語が話せるようになって何がよかったか?」という話です。

結論から言うと、「とくにない」になります。

私は、受験英語しかやったことがない 20代(TOEIC 500点台)でロンドンに飛ばされ、仕事を覚えるのと同時並行的に英語を習得してきました。
2年ほどで TOEIC 900点台には到達するのですが、これって「英語で仕事ができます」という程度の力でしかないんですね。

クセの強いロンドンっ子が素でしゃべってきたら、半分も理解できないんですよ。
語彙量はネイティブスピーカーの 3分の1 もないでしょう。
アメリカ映画を字幕なしで観賞する気にもなりませんし。

「英語で仕事ができる」と「英語が第一言語」の間には途方もない壁があるということです。

仕事をするなかで英語力を鍛えるのは、ビジネス英語を身につけるには良い方法でしょう。しかし、ビジネス英語というのは、自然言語としての英語のほんの一部でしかないんです。

「英語全体」に占めるビジネス英語と基礎英語の割合イメージ

私は、シェイクスピアもディケンズも読んだことがありません。
ビジネス英語を除けば、私の英語力は、英文学科を専攻していたような人の足許にも及ばないでしょうね。

仕事でしか英語に触れてこなかったからです。
仕事以外では、同僚との雑談か、せいぜいテレビのニュースを観るくらい。
新聞や雑誌は読まないし、ラジオも聴きませんね。ましてや英語の小説など読もうと思ったこともありません。

そんなレベルでも「英語が話せます」と言えてしまうのは、ノンネイティブの人たちをベンチマークしているからでしょうね。
ネイティブのイギリス人とも深く関わってきましたが、英語に関して彼らは教師のようなものでして、同じ土俵に立とうとは考えなかったな。
英語話者として私が意識してきたのは、ドイツ人やオランダ人やスイス人といった、ノンネイティブのなかで英語が達者なグループなんですよ。

想像してみてください。
日本語が堪能なアメリカ人の同僚がいるとします。
彼は日本語で一緒に仕事をするうえでなんの支障もない。
しかし、日本人なら誰もが知っているような常識的な知識はなく、業務外のやや洗練されたフレーズや今どきのスラングが通じず、日本人同士の会話にはついてこれない。
そんな彼を「日本語ペラペ~ラ」と認定しますか?

同様に、「英語が話せる」といっても所詮そのレベルなんですよ。
英語は仕事をするための基本ツールにすぎない、と気づいたとき、私は 20年以上も何を頑張ってきたんだろう?と徒労感に見舞われたなあ。

英語が話せるようになってよかったと思うことは、強いて言えばひとつだけあります。
それは、若い頃のコンプレックスを払拭できたことです。
20代の頃、英語が話せないことが恥ずかしかったし、ガイジンに話しかけられることが恐ろしかった。
50代の今、そんな劣等感やビビりからは解放されています。
ただ、英語が話せる利点はその程度のことだったのか、と虚しい気持ちにもなりますね。


あと数年で、私は仕事を辞めて日本に移住するつもりです。
英語をまったく必要としない生活になるでしょう。
それはもったいない、と言う友人もいますが、自分の英語力とその利点が「その程度のこと」だとわかれば、英語を使わない余生でいいんだよね。

日本は、英語がまったく要らない偉大な国です。
義務教育で英語を必須科目にするのはバカげています。
社員に TOEIC のスコアを求める会社など愚の骨頂。
そして最も唾棄すべきは、英会話スクールという詐欺ビジネスです。

安心してください。
日本に住んでいるかぎり、どれだけ努力しても英語を話せるようにはならないし、その必要性は皆無です。
一生使う機会のない英語の学習なんかで人生の貴重な時間を無駄にしないでほしいと思います。