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あなたに逢えてよかった

12年ぶりに前妻と会った。
離婚後、オンライン飲み会を 2回したが、対面で会うのは初めてだ。

2年前に Zoom でさんざん反省会をしたせいか、もう昔の話はしなくなっている。
彼女が新しい夫との暮らしについて話したり、私がスイスでの妻女たちとの暮らしについて話したりした。
互いのパートナーに嫉妬するほど私たちは若くない。
彼女も私も淡々と話しているし、淡々と聞いている。
ただ、この時間がこの上なく貴重なものであることを感じている。

これより 2日前、私は都内の映画館で『怪物』(是枝裕和監督)を観ていた。安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子という、間違いのない配役だ。
彼らは期待どおりの演技を見せてくれたが、期待を超えてくることはなく、またその必要もなかった。
この映画においてこの 3人は脇役でしかないからだ。

様々な社会問題を詰め込み気味な本作であるが、メッセージはただ一つだと思った。
それは、ふたり時間の享楽である。
小学 5年生の男の子ふたりが、秘密の場所でじゃれ合う。
そのなんと美しいことか。

独りではいけない。3人でもいけない。
「ふたり」でなければならないのだ。
好き合ったふたりが、ふたりだけが知る場所で、ふたりだけの言葉で遊ぶひとときこそ、人生で最も楽しい時間なのだ。
そんな時間が永遠に続けばいい。そう思わせてくれるラストだった。

元夫婦である私たちがいま都内某所で会っていることは誰も知らない。
私は妻に言うつもりはないし、彼女も夫に言うつもりはない。
私も彼女も互いの生活に踏み込む気はないし、社会という名の “怪物” と対峙する気もない。
いまここで、ふたり時間を愛おしく思っているだけだ。
ふたりだけが知る会話の呼吸。ふたりだけが知る表情の癖。12年という歳月があっという間に取り払われる心地良さを享受している。
しかし、この時間は永遠に続くものではないことも知っている。
私の妻女は山形の実家にいるし、彼女も大阪に帰れば旦那がいる。
ふたり時間が終われば、私たちはそれぞれの場所へ帰って行く。

しばらく会話が途切れて、私たちは互いの顔を見た。
けたね」
と、同時に言って笑った。