現代人よ。未来の計画をやめよう
複数の noterさんの影響で、このところ「今を生きよう」という考えが頭の中でグルグル回ったままです。
昔からいろんな人がさんざん説いてきた教えらしい。しかし、それを実践できている人はどれだけいるでしょうか?
ムラブリ族のことを書いたとき、ヒトは「今」を超えて考えるようになると自殺する者が出てくる、という話を紹介しました。
とはいえ、「今」だけを考えて生きることは、現代人にはほぼ無理でしょう。
現在・過去・未来~♪ と渡辺真知子も歌っていたように、過去と未来を考えずに生きるなんて私にはできません。
ならば、「考えない」のではなく、過去・未来とどう付き合うかを見直すべきだと考えました。
まず、過去から検討しましょう。
noterさんたちの記事を読んでいると、過去について書いている記事が圧倒的に多いことがわかります。体感で、過去形6、現在形3、未来形1くらいの割合でしょうか。
これはごく自然なことだと私は思いました。
過去のことは、良かったことも悪かったことも、今では落ち着いて振り返ることができるからです。
私は、noterさんの過去の話を読むのが好きです。あの頃は楽しかった。あのときは辛かった。そのどちらも、過去へのやさしい眼差しに胸を打たれるし、過去の記憶を大切にする人に共感するのだと思います。
過去のいい思い出を忘れないでいることは、今をよりよく生きる秘訣の一つである。子供の頃の家族との思い出。思春期の青い思い出。20代のやっぱり青い思い出。30代の遊び、仕事、恋、エトセトラ、エトセトラ。
かたや、嫌な思い出はどうでしょうか。
思い出すだけで心臓がトクンと鳴るような嫌な記憶、恐ろしい記憶は誰にでもあるでしょう。でも、一生癒えない傷などない、と私は思います。
嫌な思い出も昇華させて抱擁するのが大人の強さではないでしょうか。
「忘れたい事は忘れない事」と桃井かおりも言っているように。
そんなわけで、過去は比較的与しやすいと思います。
問題は未来です。
現代人の悩みは、将来に対する不安からきているように思えるのです。
少し話は変わりますが、私の仕事は未来の話が 80%以上を占めます。
事業計画、将来キャッシュフロー、予算策定、新規投資案件、等々。
そんな先の話になんの意味があるのか?と疑問に思う毎日です。
ロシアがウクライナに侵攻したとき、2年越しのプロジェクトが一瞬にして水泡に帰した。そんな経験に学んだばかりで、まだ未来を計画したいか?
未来の不確実性が異常に高まっている時代に、不安だからと言って、性懲りもなく計画を立てる。それって本末転倒でしょーが。
つまり、計画を立てるから失敗するんですよ。そろそろ気づこうよ。
私ね。人生も同じだと思うんです。
一生食っていけるかとか、幸せな家庭を築けるかとか、どんなスキルを習得すべきとか、めちゃめちゃ不確実になっているわけです。
だから、いろいろ不安になるのもわかりますよ。
でもね、「今」考えてもしょうがないじゃないですか。
未来を予測したい、という願望もわかります。で、学者やコンサルがそれらしいことを言いますが、当たったことがあったでしょうか?
20代の頃、上司とのキャリア面談で「5年後 10年後を見据えたキャリアビジョンを描け」みたいなことを言われました。今思えば、とんだお笑い草ですよね。そんなもの描いても、5年後 10年後には世界がすっかり変わっていてなんの意味もなくなっていました。
もう答えは明白でしょう。
あまりにも先のことまで計画するのはやめよう、ということです。
今週のスケジュールを立てるのはいいですが、5年後や 10年後、いや 1年後のことすら考えないほうがいい、と私は考え至りました。
未来の計画を立てれば立てるほど、時間が速く過ぎ、人生が短くなる気もします。
だいいち、未来のことを考えるのは精神衛生によくないんですよ。
悲惨な未来など誰だって思い描きたくないでしょう。
幸せな未来なら思い描いてもいい? それもあまりお勧めしませんね。そんなものを描いてしまったら、それが手に入らないとわかったときが悲惨です。
そんなことより、今日何食べようか、と考えるほうが人は幸せです。
今を生きるため。
過去とは仲良くしていい。
未来のことはほどほどに。