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エイドリアンってかわいいの?

ゆうです。
前の記事でかなり自分のことを書いたので、この際、顔出ししちゃおかなと思ったのですが、世界さんに「やめたほうがいいと思う」と言われました。
えーっと、どういう意味なのかな。失礼なオッサンですね。

以前、ゆうさんはエイドリアンっぽい、と世界さんから言われたことがあって、はあ?誰ですかそれ?ときいたら、『ロッキー』観たことないの?と呆れられました。

「タリア・シャイアというアメリカの女優さん」

タリア・シャイア・・・?
これですか?

「それはゴッドファーザーのコニー」
「別の人?」
「いや同じ人やけど、エイドリアンはロッキーに出てくるキャラ」

・・・・・・。
えーっと。
「どういうキャラなのかな?」
「ペットショップで働く、シャイで奥手な独身女性。兄と二人暮らし。好きなことはアイススケート。30歳手前の設定やったかな」
「独身と年齢以外、一つも共通項がないんですけど」
「たしかに。なんで重なるんやろ」

そこでこの話は終わったんだけど、後日ゼミの先生にその話をしたら、
「ゆうちゃん、ロッキーを知らないのですか?」
また呆れられた。
この先生、社会学の教授なんだけど、映画にもうるさいらしい。

『Rocky』・・・1976年のアメリカ映画だって。半世紀近く前じゃん。でもなんかそこまで言われたら知らないのが悔しくて、観てみることにした。
2時間くらいの余白時間はありますからね。

観賞後、いまいち面白さがわからなくて、次のゼミ後に先生に感想を話した。

「ロッキー観ましたよ」
「ほう。どうでした?」
「ボクシングの試合と最後はけっこう感動しましたが、全体を通して退屈な映画だったと思いました」
「正直な感想ですね(笑)」
「なんか、ロッキーの日常が淡々と描かれるじゃないですか。あれが観ていてきつかったです」
「例えば?」
「ジムから家に帰る道でのシーンとか」
「ふふ。いい場面を憶えてるじゃないですか」
「いい場面なんですか?」
「なぜああいう場面を描いたのだと思いますか?」
「うーん。底辺の生活を見せるため、でしょうか」
「そのとおり。よくわかっているじゃないですか」
「だからそんなものは描かなくていいと思ったんです。ロッキーのファイトマネーとかアパートの部屋を見れば、貧しさはじゅうぶん伝わりますよ」
「あの映画が見せたかったのは、貧しさではなく豊かさなのです」
「え?」

「たしかにロッキーは貧乏です。でも、街のゴロツキたちに好かれてましたよね」
「あぁ・・・でも友達ってほどではないですよね」
「友達なら、ポーリーがいましたよ」
「アハハハ!ひどい友達ですよねぇ」
「まあね(微笑)」
「あれでもいないよりマシですかー」

「この映画の主題は “赦し” です」
「ゆるし・・・?」
「私が最も好きな場面は、ロッキーとミッキーの長いやりとりです」
「あ、わかります! 和解するところですね?」
「マネジャーになろうと申し出たミッキーを冷淡に追い出した後、ロッキーはドアに向かって今までの恨みをぶちまけます」
「あそこまでヒドいこと言う?って思いましたけど」
「さんざんぶちまけたら、トボトボ帰って行くミッキーを追いかけて・・」
「あのシーン、無音でしたね。どんな会話をしたのかな」
「赦したのでしょうね。お互いを」

「で、先生はエイドリアンをどう観たんですか?」
「かわいい女性です」
「でも暗いし、イタい感じですよね」
「彼女がメガネと帽子を着けていたのはなぜだと思いましたか?」
「”オンナ” を隠すため?」
「なぜオンナを隠したかったのでしょう?」
「うーん・・・男が寄ってこないように? 彼女は、お兄さんの世話をするために、独身でいなきゃいけないって思ってたんじゃないでしょうか」
「そうですね。まあそういう時代だったのもありますが、彼女は不器用だけどピュアでまっすぐな人間です」

だから、かわいいの?

「感謝祭の晩、エイドリアンが意を決したかのように部屋から出てくるシーンありましたよね。あんなに嫌がっていたのに、突然ロッキーとデートする気になった心境の変化が理解できませんでした」
「え? 女性のあなたがそれ言いますか? あれが ”突然” だって?」
「お兄さんの惨い仕打ちに泣いてたのに、突然態度が変わったような」
「まあたしかに、重要な場面ではあります。けど突然ではないですよ。エイドリアンは、ロッキーのことが嫌いなわけではないのです。自分に自信がなかっただけでね。ペットショップでの彼女の態度を思い出してください。嫌がっているというより、どうしたらいいのかわからないという感じだったでしょ。自分の殻に閉じこもっていただけなのですよ」
「最初からロッキーが好きだったとか?」
「それはないでしょうが、ロッキーが毎日話しかけることで彼女の心は少しずつ氷解していって、少しだけ自信が持てるようになったのです。あの場面は、それが行動に表れた瞬間でした」

あれ? 社会学の教授(60代男性)に女ゴコロをレクチャーされている?

そういえば、あたしも自分の殻に閉じこもっていた時期があったな。
社会に出てから、人とうまく付き合えなくて、自分のすべてが否定されてるような気がした。エイドリアンもそうだったのかな。
あたしも不器用。まっすぐすぎるのかな。
先生はエイドリアンを「かわいい女性」だとおっしゃった。
そういう見方もあるのか。
もう一度、映画の中のエイドリアンを思い浮かべた。

「先生。あたしってエイドリアンっぽいですか?」
「ふーむ。そう言われるとたしかに・・・」
「どんなところでしょうか?」
「男っ気がないところ(笑)」

このオッサンも、かなり失礼なんですけど。