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出世至上主義は抜けきらない

早々に出世レースから離脱したのに、後輩や同年代女子が昇進していくのを見て動揺してしまう、と告白した Yuitaさんの記事☟

いつもながら Yuitaさんの記事は琴線に触れてきますね。
会社員にとって出世がすべて。この「出世至上主義」とも言うべき信条は、どのようにして形成されるのか、それはなぜかくもしつこいのか、そこから脱却することは可能なのか?
私の考えを述べてみたいと思いました。


社会の刷り込みが会社によって強化される

今はむかし。
『人生ゲームハイ&ロー』というクイズ番組がありました。

あれを観て、子供ながらに
ヒラ社員 ⇒ 係長 ⇒ 課長 ⇒ 部長 ⇒ 重役 ⇒ 社長
という双六が刷り込まれましたよね。(いや、生まれてねーし、って?)

まああれはほんの一例にすぎなくて、子供たちはメディアや大人たちの会話などから、会社の序列や「出世」というものについて漠然としたイメージをもつようになるものです。

それを初めて実感として知るのは就職活動のときでしょう。
会社説明会に 30代の中堅社員が出てきて、一次面接に課長クラス、二次面接に部長クラス、最終面接に役員クラス(ラスボス)が出てくる。
次のステップに進むほど、面接官の年齢と役職が上がっていき、それと比例するように態度のデカさと威圧感も増していく。
就活生は、上にいくほどすごい人なんだろうなあ、自分もああなりたい、と考えるようになります。

入社すると、同じスタートラインに並ぶ「同期」を意識せざるをえません。
同期というやつは、仲間意識が強くていいものですが、ライバル意識もまた強いものです。
同期入社で部長以上に成り上がるのは 100人に一人、なんて話も聞きます。
入社後 5年や 10年もたてば「出世頭」なんて言葉も耳にするようになります。同期の中で最速で主任になったり管理職になった人のことです。
自分は出世頭になれなかった・・・と嘆息しつつ、それでも同期内の上から 20%くらいには留まりたい、なんて思う。
やがて、同期の半分以上が自分より上の役職にいると気づいた頃には、歳をとりすぎている。
今どきは、同期の半分以上がすでに辞めているのが現実なのでしょうが。

会社には、出世至上主義を拡大再生産する仕組みが埋め込まれています。
例えば、毎月公表される人事発令情報
あれを見て一喜一憂ならぬ、零喜十憂する会社員は多いでしょう。
名刺というやつも肩書きを強く意識させられるツールですし、組織図もまたヒエラルキーを可視化する毒性情報ですよね。

会社員が出世至上主義になるのは、必然的すぎるくらい健全なことだと思います。
そうならないでおこうとするのは、とてつもない努力を要することであり、よほどの強メンタル者でないかぎり、かえってメンタルを破壊する荒行だと言えます。

階級社会じゃないから階級を作りたがる

ヨーロッパ的な意味の社会階級がない日本は、世界でも類を見ない平等社会です。日本に来た外国人はまずそのことに驚き、手放しで称賛します。
しかし、階級社会でないからこそ、本来の階級でないものを無理やり階級化したがる国民性があるらしい。

例えば、普通より少しばかり裕福な家の友人を「ボンボン」だの「貴族」と呼んだり、ただの国家公務員を上級国民と呼んでみたり。
ちょっとした格差が本人の能力によるものではなく、「階級」というくだらない遺物から生じたものだ、と思いたいのでしょうか。

また、学歴的に同等であるはずの四年制大学の中で、大学名によるランク付けがあるのもおかしな話です。
今どきは、就職面接で学校名を言わないルールになっているらしいですが、それ逆に気持ち悪いですよ。それほど学校名のネームバリューが根強いことを証明しているようなものですよね。

会社における職級というやつもまた、平等になった時代に無理やり捻り出した現代の “階級” のようなものだと感じます。
一般職3級とか管理職6級みたいなアレ。
それらは役職ではなく等級です。役職は「経理課長」のような職務を表すのに対し、等級はその社員の “偉さ” みたいなものを表す無意味な階級です。
こんな等級制度があるのは、世界広しといえど日本の会社だけです。

ところで、日本で最後に階級制度があった組織は、軍国時代の軍隊でしょうね。伍長・軍曹・曹長。少尉・中尉・大尉。少佐・中佐・大佐ってやつ。
日本は、あの時代から時が止まっているのかもしれませんね。
日本の小中学校がいまだに軍隊式の行事・規則・躾けを強いていることと、無関係でない気がします。

出世欲は必要欲

会社には、成果を出す ⇒ 評価される ⇒ 昇進する、という図式があります。
「昇進したい」という出世欲があれば、「評価されたい」と考え、評価されたければ「成果を出したい」と考えるのが自然でしょう。
ということは、出世欲のない人は、評価されたい欲もなく、成果を出したい欲もない、ということになりませんか?

この考え方によれば、出世欲のない人=成果を出したくない人=ダメ社員とも思われかねません。
例外はありますよ。
成果を出したいが、評価されたいとは思わない人、とか。
成果を出して評価もされたいけど、昇進したいとは思わない人もいるでしょう。
会社は、そのような例外を捨象して、基本的には出世欲のある社員ほど成果を出す、と考えるもの。
だから、出世欲を煽る仕組みを何重にも張り巡らせるのです。

こんなに頑張っているのに、なかなか評価してもらえない、昇進できない、といった不満は、すべての会社員が多かれ少なかれもっているものだと思います。
いっそ出世欲を脱ぎ捨てたくなる気持ちもよくわかります。
でも、それを完全に捨て去ってしまったら、仕事そのもののモチベーションをも喪失するおそれがあります。
ではどうするのがいいでしょう。

心の深奥を知れば怖いものなどない

出世欲を捨てることができないのなら、自分の出世欲の源泉を知ることで、心の持ち方を定めることができるかもしれません。

以前の記事で、会社員が出世したい理由を次の 5点にまとめました。
①ベネフィット
②職務権限
③職務内容
④発言力
⑤ステータス

これらのうち、日本では④と⑤を重視する会社員が多いと書きました。
もっと露骨な言い方をするなら、威張りたい欲なのだと思います。
べつに、部下に怒鳴り散らしてふんぞり返っていたいわけではないでしょうが、敬意を払われたい、チヤホヤされたい、重要人物だと思われたい、くらいの欲はあるでしょうね。

もうひとつは、プライドからくるものだと思います。
これは高偏差値大学の出身者によくある傾向です。
〇〇大学の出身なら遅くとも 40歳で管理職になるはず、みたいな暗黙の期待があり、それをクリアできないと酷くプライドが傷つけられるようです。
「期待」とは、自分自身の期待だけでなく、周囲からの目に見えない期待もあります。
その期待に応えられないと、自己嫌悪と劣等感に苛まれながら、周囲から「無能」と思われる恐怖感がついてまわるのです。

なんだか書いていてつらくなってきました。
でも、そこまで自分を分析できてしまえば、もう悩むことも怖いものもないと思うんですがいかがでしょう。

最後に蛇足ながら私の変遷について。
私の出世至上主義は 40のときがピークだったと思います。
40から 45までが最も葛藤した時期でした。
45で悟りが始まり、50までの 5年は悩みつつ洗脳を解いていった時期。
50を過ぎたらほぼ脱却できました。

40代が肝心だと思います。