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生き方

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しんどい生き方をしてきました。私の人生はこれでいいのか?私は幸せなのか?の自問自答。もっとラクに、自由に生きたい。生きることにしんどさや迷いのある方に読んでいただきたい記事たちで… もっと読む
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記事一覧

旅映画を観て、旅をしない人生を思う

スイスは夏時間になりました。日本との時差は 7時間です。 ここ最近、仕事がヒマなのをいいことに、映画を観まくっていましてね。 観た映画はどれも主人公が旅をするお話です。 ロードムービーというジャンルらしいですが、そのチープな言い方がどうも好きになれません。 映像が辿る土地の風物や風景を楽しむとか、旅気分を味わうみたいな語感にイマイチ共感できないからでしょうか。 まあたしかに、それも映画の見どころのひとつなのはわかりますが、主題は絶対そこじゃないでしょ、と言いたくなるんですね

おじさんによるおじさん考

おじさんがおじさんを批判するのってダメでしょうか。 私は年齢的にも外見的にも、れっきとしたおじさんだと自覚していますが、絶対にああはなりたくない「おじさん観」というものがありましてね。 それはひとことで言うと、虚勢を張る構えのようなものです。 私が見てきたおじさんというのは、8割方が会社員です。 会社員の基本的な構えって、 「できるだけ自分を大きく見せたい」 「私はひとかどの得意分野をもつ人材だ」 「とにかく私は精一杯がんばっている」 じゃないですか。 卑屈さとプライド

現代人よ。未来の計画をやめよう

複数の noterさんの影響で、このところ「今を生きよう」という考えが頭の中でグルグル回ったままです。 昔からいろんな人がさんざん説いてきた教えらしい。しかし、それを実践できている人はどれだけいるでしょうか? ムラブリ族のことを書いたとき、ヒトは「今」を超えて考えるようになると自殺する者が出てくる、という話を紹介しました。 とはいえ、「今」だけを考えて生きることは、現代人にはほぼ無理でしょう。 現在・過去・未来~♪ と渡辺真知子も歌っていたように、過去と未来を考えずに生

あの頃の仲間と再びつながる

今はむかし。 某新聞社の研究機関で働いていた時期がありましてね。 様々な経済指標を使って GDP予測を行うチームで、メンバーは 20人くらいいたでしょうか。いろんな企業から出向してきている人たちで、20代半ば~30歳の年齢層だったので、学生のようなノリで遊びまくっていました。 チーム解散後、私はロンドンに赴任し、当時の仲間たちとは徐々に連絡が途絶えていきました。金融機関からの出向者が多数を占めていたなかで、メーカー勤務の私は、彼らとはやや棲む世界が違ったこともあると思います

ビフォーコロナに会いに行く

来週から 3週間ほど出張する予定でしてね。 シンガポール、インドネシア、香港、中国 (Mainland China) を転々とします。 このテの長期出張は、何度か note記事に書いてきたとおり、私が auditor だった時代 (2013~2019年) の日常でした。6年の間、ひと月に 2~3週間は出張していて、そんなルーティンが毎月続くので、長期滞在した国は 60ヵ国ほどになります。 そんな生活に嫌気が差したこともあり、2019年にジュネーヴから香港に転勤しました。 そ

たまには独り言を

ある noterさんからこんなコメントをいただきまして。 弊記事から私の心情を読み取ってくださったようで、こんなにうれしいことはありません。 コメントをいただいたときは即答できませんでしたが、あれからいろいろ考えまして、ようやく答えらしきものが見えてきました。 結論を申しますと、答えはズバリ「孤独」だと思います。 2023年2月に香港からスイスへ移住しましたが、スイスへの移住それ自体が孤独を生む「きっかけ」でした。 以下に書く事どもは、最近の記事でさりげなく触れていたこと

家族を離れ、人の野へ

コロナで外出が制限されたとき、いっそ狭く生きてみるか、と考えた。 会社にも行けず、知り合いもほとんどいない香港で、妻と2人の娘とだけ関わりながら生きる人生も悪くない、と思ったのだ。 その頃、あるnoterさんが書いた一文に目が固定された。 「家族とは排他的であり、他の家族と競争関係にある」 これはどういうことかと言うと、私たちは自分の家族のことは助けるのに、隣の家に住む人が飢えて死にかけていても見向きもしない。そんな世の中はおかしいのではないか?という問題提起だ。 私は「

その男、妖艶につき

バンコランを見て育ちました。 バンコランは『パタリロ!』に出てくるキャラクター(人間)です。 『パタリロ!』は『花とゆめ』に連載された、ジャンルとしては少女漫画になるらしいですが、私にとってバンコランはロールモデルでした。 バンコランは、思春期の男子が憧れる要素満載なのです。 まず、クールでニヒルな佇まい。いろいろこじらせている男子は、ひたすら前向きで屈託のない翼くんより、冷静沈着で孤高のバンコランに惹かれます。 次に、不死身の強さ。といっても、悟空やケンシロウのような超

仕事をやめたら何するか問題

東京滞在もエンディングが近づいてきた昨日、昔の上司と飲みました。 松井さんは、今より 21年前の 2002年の東京で私の上司だった人です。 当時私は 30歳、松井さんは 40歳でした。 私はその 10年後にスイスの会社に転職して現在に至ります。 松井さんはその後、海外事業所長や本社の部長を歴任され、最後は関東地方の支社長として 60歳で定年退職されました。 私たちはそれぞれ違う道を歩んできたわけですが、今 21年ぶりに再会して、居酒屋のカウンターに並んで座る私たちの間には

大人たちよ。友人を維持できているか

諸外国を転々として生きていると、いろんな国に友人がいる、と思われがちですが、実態は全く逆です。 私には外国人の友人が一人もいません。 ある国に住んでいる間はそれなりに親しくなる人ができますが、その国を離れたらグッバイです。それ以降、連絡を取り合うこともなくなります。 赴任先で知り合う人々とは、所詮ユキズリの関係でしかないのです。 私には “友人” と呼べる人はいるのだろうか、とふと思いました。 友人の定義があいまいですが、「1対1で晩メシが食える人」とします。 つまり、2

その日の私

私の住む家には掛け時計がない。 リビング・ダイニングルームに時刻を知らせるものはない。 私の部屋にも時計がない。パソコンと電話機が時刻を知る道具になっている。 私たちは、常に時刻を知る必要があるのだろうか? 時刻を知る必要があるのはどういうときか。 まず、子供が学校に行くため。なので、娘の部屋には目覚まし時計がある。 私は定時に会社に行く習慣がないので、目覚まし時計は要らない。 ミーティングなどの約束があるときは、時間に敏感にならざるをえない。 それ以外では、ほとんどない

彼の人を思ひ此の地に行き着きぬ

最近家探しをしてわかったことがあります。 条件検索にはあまり意味がないということです。 賃貸物件をエリア・タイプ・部屋数・家賃などの条件で検索し、お気に入り物件リストを前もって不動産屋さんに送りました。 内見して私たちが選んだのは、お気に入り物件リストにはなかった、その日初めて見た物件でした。 その物件は、いくつかの条件を満たしていません。駅から微妙に遠いし、広さが足りません。それなのに、中に入って2分後「ここにします」と決めていました。 その家と恋に落ちたのです。 家探

鐘の音をあと何回きくのだろう

1年という時間の単位に思いを致すこの時期。 1年ってなんだろう? と考え、誰もが死を意識するのではないでしょうか。 たとえば、自分の余生があと 30年くらいかな、と考える人は、これをあと 30回繰り返して自分は死ぬのか、と考えるように。 だから人はこの時期に宗教的な何かを必要とするのだと思います。 キリスト降誕の日をこの時期にもってきたことも無関係ではないでしょう。 日本人にとってのそれは除夜の鐘でしょうか。 1年前、2022年の抱負を書きました。 「家」「職場」「Th

残生を逆算して、今を決めてみる

前回の記事で、自己と対話するプロセスに触れました。 それは単に次の仕事を決めるためだけでなく、残された時間をどう生きるかという問いに答えることでした。 今回、その思考の全容をできるだけ平易な言葉で説明することにします。 納得して死ぬため、私らしく生きる 始めに設定した問い:「人生の最終的なゴールってなんだろう」 私は漠然と、死ぬときにいろいろ納得していることかな、と考えました。 あまり深く考えずにそう思ったので、間違っているかもしれません。思考の途中で間違いだと気づいたら、