ピクニックにちょうどいい本とか持ってない


ピクニックをしようという提案を受けた。

金欠の自分にとってはとてもありがたいプランだ。

各々家で用意したサンドイッチやコーヒーを持ち寄り、芝生の上で談笑する楽しい時間。しかも金がかからない。こんなに素晴らしい提案はない。

シートは彼女が持ってきてくれるらしい。
では、僕は何を持っていけばいいのだろうか。
「僕が持って行った方がいいもんある?」
と尋ねると、彼女は
「じゃあなんかおもしろい本持ってきて」
と答えた。
「私も何か持って行くから、それを交換して読もう」という提案だ。

もちろん、「わかった!」と即答した。

しかし、ピクニックに持っていくのにちょうどいい本なんて僕は持っていない。
考えるまでもなく、僕にとってそれは自明のことだった。

そもそも普段は電子書籍で本を読むから、人と共有できる紙の本をそれほど多く持っていない。

かろうじて持っている紙の本は、電子書籍化されていないために渋々購入したものがほとんどだ。

電子書籍化されていない本というのは、つまり、尖った本であるということだ。

出版数の多い本はほとんどの場合電子書籍化される。
裏を返せば、紙でしか買えない本というのが取り扱う内容は、少数の読者に深く刺さるタイプの、ニッチな内容を取り扱った本であることが多い。

僕が紙で持っている本の多くもその類である。

僕が紙で持っている本の中には、電子書籍化されていないから渋々購入したというもののほかに、「電子書籍でも持っているが好きすぎて紙の本も手元に欲しくて買った」というものも何冊かある。

又吉直樹の「人間」「劇場」「火花」の三作や、筒井康隆数作、安部公房数作などがそれだ。
しかし、それらの本も別の理由でピクニックには不向きだ。
それらの作品は僕という個人との結びつきが強すぎる。

もちろん、どの作品も彼女にも読んで欲しいと思う作品だが、できれば昼下がりの芝生の上で意識半分の状態でそれらの本との初対面を行なってほしくはない。
読むならしっかりとその本と向き合える状況で読んでほしい。できれば。

そんなめんどくさいことを考えてしまうのだ。


改めて、僕の本棚を確認してみた。

新書のハードカバーの「人間」や「劇場」などの小説、アダチプレスから出ている「衣服と言葉」、他には「日本語の文法」や「日本語の起源を探る」など、日本語に関する本、そしてドイツ語の教本などだ。

そもそも、ピクニックという状況においてハードカバーの本は絶対に違う。

ピクニックに持っていくなら薄めの文庫を数冊持っていくのが正解であることは分かりきっている。
130ページくらいの、厚さ6mmくらいのやつ。
この時点で僕の本棚のメンバーのほとんどが脱落した。

もしくはカルチャー雑誌などがあれば最高だ。
ポパイやPEN、アイデアなどの定番どころでもいいし、インディーで出版されているZINEなどがあればもっと盛り上がりそうだ。
しっかりと文章と向き合う必要がそれほどなくて、パラパラめくるだけで楽しいやつ。
雑誌に載った写真を指さしながら互いに意見交換などもできる。



そもそも、本を持って行ったとしてもおそらくそれを読むという流れになるかどうかさえも疑わしい。
サンドイッチやおにぎりを食べ、コーヒーを飲んで、談笑し、少し昼寝をするだけでピクニックの時間は過ぎてしまう。

飛行機に乗るときに張り切ってたくさんの映画をダウンロードするが、実際に乗ってしまうとあっという間に目的地に到着し、結局一本も見ずに終わるということがよくあるが、それに似ている。

実際に体験する前に想像している段階では時間が無限にあるような気がしてしまうが、いざその時間を過ごすと思っていたよりも何もできないものだ。


今回も、持っていた本が読まれることはないだろう。

しかし、本を持って行くということが話題に出た以上、読まないからといって何も持って行かないわけにはいかない。

その本が読まれることがなかったとしても、それほど悲しくならずにすむくらいの、ちょうどいい本が必要だ。

電車の時間まで残り30分。

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