1959
会社が大きくなっていって、仕事を分担するようになり、職務に基づいて部とか局とか課に分かれていくと、社員の間で意識を共有することが難しくなったり、時には対立したりすることもあるでしょう。
社内の部局の話し合いが上手くいかず、それが大口の顧客との関係に悪影響を与えて、事態の収拾に駆けずり回る平凡な人物の行動を、読んでいて次はどうなると、ページを追いたくなる小説にしたのが、松本清張短編集「男たちの晩節」の5作目の「空白の意匠」です。
「空白の意匠」は地方新聞社でQ新聞の広告部長が主人公で、小説の内容は、Q新聞の記事が原因で大口広告主とその代理店との関係が悪化し、広告部長が悪化した関係を、なんとか修復しようと謝罪、弁解、接待と必死の努力をするというものです。
大口広告主の機嫌を損ねることになった記事は、地方で起こった出来事をきちんと購読者に伝えるという、新聞の役割を忠実に果たした結果です。
それは非難される事ではありませんが、記事を書いた編集局の局長が、記事が会社に与える影響については、知ったことじゃないという態度ですから困ったものです。
地方新聞社で編集局長という立場なら、会社の業績と自分は無関係という意識はおかしいでしょう。
新聞の使命を果たすために、記事が原因で大口広告主の機嫌を損ねても仕方ない、その態度は立派ですが、当事者としてその後始末をする人と意識を共有しない、広告主との交渉は自分の仕事ではない、こんな態度の編集局長は、「空白の意匠」で一番好感を持てない人物です。
はっきりと仕事の範囲が分かれていれば問題ありませんが、それが明確でもないのに「ここまでが自分の仕事で、それ以外の仕事は自分とは関係ない」このような人と仕事をして苦労したという経験のある人は多いでしょう。
そのような経験があれば、広告部長の悩んで行動する姿に、その経験が重なるかもしれません。
後ろの解説によれば、「空白の意匠」は1959年に発表されたとあります。
そのために物価、環境、道具など現代とはかなり違います。ですので「空白の意匠」は1959年ごろ人々はどんな暮らしをしていたのか、生活や仕事はどうだったのか、今はこのやり方は通用しにくいけど、あの頃はこれで良かったのか、そんな事も知ることができる小説です。
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