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プレイ時間は裏切らない

ぼちぼち詩を書こうかしらと思えるくらいまで心が復調してきたのでキーボードをかたかた叩いていたのだけど、詩の“クライマックス”になる予定の段落に「本当に」とか「驚くほどの」のようなあまり意味を持たない言葉がたくさん並んでいることに途中で気付いてちょっと笑ってしまった。「こいつ、どうにかしてここを盛り上げようとしてるな」

そっとその段落を削除して、そうするとその前も気に入らなくなってきて消して、などとやっていたら冒頭の一行しか残っていなくて、あぁ、そういえば詩ってこうやって進んだり戻ったりしながら書いてたっけなぁ、と思い出した。結局その日は一行しか書けなかった。一日一行ということは一ヶ月で30行。一年で365行。圧倒的に少ない。

最近プロゲーマーのMOMOCHIさんの配信が楽しくて(負けたときの言い訳のバリエーションが豊富で面白い)よく観ているのだけど、“プレイ時間は裏切らない”というのは本当なんだなぁ、と思った。一昨日はスマブラをぶっ続けで17時間プレイしていて、まさに身体で覚えるという感じだった。YamatoNさんがAPEXを毎日とんでもない時間プレイしていたり、ゲームを極めし人々はプレイ時間をとても大事にする。わたしはスマホゲーくらいしかしたことがなくて、もっぱら見る専なのだけど、詩やエッセイを書く行為を“プレイ”に置き換えれば納得できる。どんなに文才があっても、自分で実際に書くことでしか得られない成長というのは絶対にある。村上春樹はとんでもない才能を持っていると思うが、あの人でさえ、初期の作品は「自分のやりたいことができなかった」とエッセイなどでよく話している。もちろん作品としてきちんと形になっているし他人が読んで楽しいのだけど、本人のイメージ通りのものをつくるためにはそれ相当の“プレイ時間”が要るのだろう。

わたしも“プレイ時間”をもっと積んでいれば今頃とんでもない詩を書いていたかもしれない。読み終わったあとしばらく呼吸を忘れてしまうような、意識がどこかに飛んで行ってしまいそうな、ものすっごいやつ。

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いちおうお知らせしておきますが、この文章は<雑記>というマガジンに分類されます。エッセイほど頑張らずに書いたものを入れる予定です。雑記だらけになるような気もしますが…


#雑記
#923文字


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