でも、さようなら
哀しみはさっきよりはっきりと増していて、嫌な思い出を辿るときみたいに足どりはずっしりと重たくなる。返事に窮するときの喉の痛みはとても子供じみていると思う。だからわたしは余計に悔しくて哀しくなる。
"男"がわたしを呼ぶ声がする。
よく聴き馴染んだ、懐かしくて好きだった声。
ドンドン、とドアを叩く音も聴こえる。
涙がでたときの瞬きは熱い。
眼球の痛みも喉の痛みも"男"にはおそらく伝わらない。言葉はいつもいつも届かないのだ。日本語と英語よりもっともっと遠い。そして言葉とはいつもいつも取り返しがつかない。残念なことだけど。
ドンドン
ドンドン
ドアを叩くその音はとても恐い。脳がよれよれに萎んでいく感じがする。「例えば…」とわたしは考える。
同じように"男"を怖がらすことができれば、わたしのこともすこしは理解できるかもしれない。
理解?
いったい何のために理解を迫るのか。
わたしの涙はいつかは渇く。それは確かだ。
"男"はまだ無神経にドアを叩いている。
hey?anything wrong?
if you have a reason, please explain
ねぇ?大丈夫?
もし理由があるのなら教えてほしい
「ううん、なんでもない」
正確に言うのであれば、理由はわからない。
でも、さようなら。
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