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配慮論

サイゼリヤが流行っているから行ってみたらビーガンメニューが無かった。ビーガンの私への配慮が無いと。

世の中は配慮で成り立っている。
腹が減れば配慮が飯を配達してくれ、金がなければお代は結構ですという配慮。暑ければ自然の配慮によりその風が吹き、寒ければ配慮により街中で火を焚きまくる。もはや配慮無しでは生きては行けない。

配慮が必要となり、配慮がAmazonで買えるようになる。配慮マーケットに持ち込めば、それ相応のリクエスト配慮が成される。ビーガンレストランを建てるなら3000万円位の配慮券を買えば良い。運営資金として月の赤字分は配慮券にて賄われる。運営が成り立たなければ、そこで働いていた失業者から配慮が要求される。
闇配慮が取引され、配慮警察がそれを取り締まる。闇配慮で逮捕された人々は拘束中の配慮を要求する。政府は政府への配慮を国民に求め、学者は国民は政府への配慮と国民への配慮のバランスを議論する。某国は世界の配慮が足らんと配慮号というミサイルを打ちこむ。
ハンバーガー屋はパンに配慮を挟んだ配慮バーガーを売り出し、コカコーラは配慮味を発売。配慮味は優しく野菜にしては本来の甘さを引き立て、肉はとろける様に柔らかいという仕上がりの味。空前の配慮ブームはもはやイデオロギー化していき、配慮マニアは子供に配慮を教え込む為に食べ物を与えなくなる。子供は配慮を学ばないうちに餓死するという社会現象が起こるが配慮教育に配慮しろという理由から配慮化していく。
配慮は配慮により配慮と化し、配慮はもはや配慮となる。人は配慮がするが故にもはや配慮となり、配慮する。
隣の配慮はもはや配慮なので配慮。配慮は配慮の連鎖で配慮を配慮。

これはもはや意味がわからなくなると悟る1配慮が、配慮だ!と配慮する事により、配慮。

時代の波。
300年後に人はこれを配慮革命と呼んだ。

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